真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「セミドキュメント オカルトSEX」(昭和49/製作:ワタナベ・プロダクション/監督:山本晋也/脚本:山本晋也/製作:真湖道代/企画:渡辺忠/撮影:久我剛/照明:近藤兼太郎/編集:中島照夫/音楽:多摩住人/助監督:城英夫/効果:秋山サウンドプロ/記録:前田美江子/製作主任:加藤良三/録音:大久保スタジオ/現像:東洋現像所/協力:ホテル 目黒エンペラー (03)492-1211㈹/出演:野上正義・堺勝朗・鏡勘平・乱孝寿・志摩京子・美鈴アイ・南スミ・早川リナ・仁科鳩美・葉山ジュン・吉沢恵子・木村典子・杉本可憐・松原ヨミ江・久保新二・滝沢明広・福岡三四郎・鶴丸昌治・西野泰)。さあて、あれこれ盛沢山。出演者中、美鈴アイと南スミに葉山ジュンが、ポスターでは美鈴愛と南ゆきに多分青葉純。鏡勘平と吉沢恵子・木村典子、松原ヨミ江以降は本篇クレジットのみ。逆にポスターにのみ、愛川彩なる謎の名前が載る、何で然様に好き勝手なのか。監督と脚本の別立ては、本篇クレジットに従ふ。企画の渡辺忠は代々木忠の変名で、製作の真湖道代は同じくヨヨチューの配偶者。二人の結婚が博く昭和42年(真湖道代当時十七歳)とされてはゐつつ、自身を回顧した「週刊代々木忠」の第五十五回「妻」によると2010年の四十一年前とされてゐるゆゑ、さうなると昭和44年にあたる。それと、本クレで拾はれて別に罰は当たらないナレーターの都健二が、今回は等閑視。
 赤バックのナベプロ作ロゴから、ウォーターベッドで志摩京子と、秋弘でなく明広なのは本篇クレジットまゝの滝沢明広が大絶賛真最中。お二人がヤッてはる画に、「愛の言葉で始まる性愛のスタートは」、「肉体といふ物理的愛撫によつてその最高潮を迎へます」。例によつて、生硬な声色含め無闇に観念論的な調子は徒な意匠に過ぎず、テキストの中身自体にも別に意味はない都健二のナレーション起動。ただ今回のミヤコレーションが一味も二味も違ふのが、男のナニから女のナニに脳波改め“性波”を送る性的念力、テレパシーならぬその名も“ポルノパシー”!の存在を晴々しくか白々しく宣言。画期的は画期的な珍機軸を謡つた上で、空想科学的なタイトル・イン。タイトルバック込みのタイトル前後と締めの濡れ場で再度使用する、膣内視点を得るための模型が観音様の方が矢鱈広大すぎて、棹が鉛筆の如くか細く映る女大男小な違和感が否応ない、春川ナミオの世界か。
 志摩京子と滝沢明広はタイトルバックまでで御役御免、とはならず、本篇冒頭も一絡み完遂で飾つたのち。ある意味最大の衝撃がガミさんが晩酌がてら見てゐるテレビ番組の形で、大橋巨泉が司会のユリ・ゲラーを特集した木曜スペシャルを、結構な長さ堂々と拝借してのける大概な昭和のフリーダム。斯くも無法な代物、おいそれとソフト化出来る訳がない、配信してゐるだけで他人事ながら冷や汗が出る。とまれ、すつかり感化されスプーンに曲がれ曲がれと念を送る斎藤三郎(野上)を、「曲がるくらゐならその前に勃つて欲しいは」。一週間御無沙汰の入り婿を、妻の節子(南)が明確な敵意を以て揶揄する。
 辿り着ける限りの、配役残り。ビリング順に堺勝朗と鏡勘平に早川リナは、三郎が籍を置く営繕課の田中課長と福田係長に坂東光子。ポスターでは、一応早川リナが先頭。次いで南ゆき、美鈴愛と続く、誰なんだスミ。一切の脈略を華麗か豪快にスッ飛ばすデフォルトで、要は狙つた女をモノにするポルノパシーの使ひ手―田中自身の用語では“念力SEX”―である課長が、斎藤と係長に吹聴する自慢話中、オトしたホステスが正直固定出来ないが上から潰して行くビリング推定だと葉山ジュン。往来の暗がりでは一瞬美人に見えた、吃驚するくらゐ若い乱孝寿は偶さかミーツした斎藤と忽ち連れ込みにて事に及ぶ、傍目には立ちんぼにしか見えない女。の正体が、実はやくざ(久保)とコンビの美人局。ガミさん&堺勝朗となら何時でも何処からでもジェット・ストリーム・アタックを撃てる、久保チンが係長とは邂逅する機会も与へられず一幕・アンド・アウェイ。念力マージャンで大勝ちした斎藤が豪遊する夜、多分キャバレーの「ハワイ」から持ち帰る女は仁科鳩美。順番に数へてみると六番手に沈む下位が、不遇と難じるほかない結構な逸材。結論を先走るとどうせ本筋といふほどの本筋も存在しないのだから、誰が重きを置かれるもへつたくれもなからう。美鈴アイは交通違反を取り締まる様子に、斎藤が見境なく欲情する婦警。その他主だつたところだと、斎藤が光子に念を送る公園にて、係長もトライしてゐたポルノパシーが誤爆する男と、制服婦警が―斎藤と―やつて来たのに、慌てる目黒エンペラーのフロント嬢が特定不能。地味に大きな謎が、美鈴アイに切符を切られるスズキジュンイチ。当時二十二歳につき、鈴木潤一を平仮名表記にしたすずきじゅんいちであつたとしてもおかしくはないものの、満足に首から上を抜いては呉れない以上―抜く必要もないんだが―何れにせよ断定はしかねる。
 先に挙げたユリ・ゲラーの木スペ「特集!驚異の超能力ユリ・ゲラーのすべて」の放送日が四月四日で、今作の封切りが八月三日。鉄を熱いうちに打ちのめすにもほどがある、山本晋也昭和49年第六作。“FUCK自在のポルノパシー(性的念力)を徹底解剖!!”、ポスターに踊る根も葉もない惹句が清々しい。
 端から田中が会得してゐるポルノパシーを、田中に師事するでなく、斎藤も何となく会得。有難味があるのだか矢張りないのか判断に苦しむ展開が、場当たり的なエピソードの羅列に過ぎないまゝに、迷ひも惧れも捨てた勢ひ勝負で駆け抜ける。よくいへば山晋らしい一作が、2022年視点でワーキャー喜ぶに値するのかと問ふならば。甚だ怪しいか心許ないといふのが、直截な偽らざる当サイトの回答。出し抜けであれ何であれ、琴線にヒットしたのは大胆にも営繕課のオフィス内。劇中最初に、田中のポルノパシーが光子に対して発動する件。目をヒン剥いた堺勝朗と、所謂メスの顔になる早川リナ。ガチョンガチョン寄るズームも乱打する二人のカットバックで、飛躍の高いシークエンスを力任せに捻じ込む剛腕のアバンギャルド演出と、先述したお昼休みの公園から、斎藤と福田が帰社したのが二時半。大目玉を落とす田中の、「何処の時計見たつて二時半なんですよ!」には普通に声が出た。軽演劇の素養を持ち元々オールドスクールの喜劇俳優たる、堺勝朗が他とは一味も二味も文字通り役者が違ふ。最終的に斎藤が辿り着いたポルノパシー通り越したセクソキネシス―今思ひついた適当な造語―の境地といふのが、挿入した節子の観音様の中で、棹をグキッと曲げる―実際に“グキッ”と音効を鳴らす―荒業・オブ・荒業。正直シンプルに痛さうで、抜けなくなりはしまいかとか無用の心配が先に立つスリリングなオチはこの際さて措き。赤バックに手書きのスーパーで、ポルノ映画のボカシが消えよと念じる旨促す、煌びやかに馬鹿馬鹿しい大オチがケッ作、誰も傑作とはいつてゐない。エンドマークも“終”なり“完”なり“FIN”等々でなく、“念”と入れてのける念の入れやう。離れすぎてゐて、意味が判らないけどね。


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