真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「絶品つぼさぐり」(昭和52『絶品つぼ合せ』の何題?/製作:ワタナベプロダクション/監督:渡辺護/脚本:門前忍/製作:真湖道代/企画:門前忍/撮影:久我剛/音楽:多摩住人/出演:南ゆき・安田清美・長谷圭子・三田恵胡・関多加志・港雄一・松浦康・木南清・五反田二郎・尾川磬・青柳康成・神原明彦)。脚本と企画の門前忍は、渡辺護の変名。
 最初に難渋な状況に関して抗弁、もとい整理しておくと。「絶品つぼさぐり」なる映画は、恐らく存在しない。ラストならぬ、衝撃の冒頭かよ。渡辺護昭和52年第三作「絶品つぼ合せ」と、同じく真湖道代製作で、真湖道代の配偶者である代々木忠の昭和55年第三作「セミドキュメント つぼさぐり」を、混合か混同したチャンポン題ではなからうか、チャンポン題て何だそれ。ソクミルの「絶品つぼさぐり」と、シネポの「絶品つぼ合せ」。二つの全く別個のサイトで同じ粗筋を窺ふに、「つぼ合せ」≒「つぼさぐり」でまづ間違ひないものと思はれる。問題が、日活公式とjmdbで上映時間が六十六分とされる「つぼ合せ」に対し、ソクミルの配信と、nfajが「つぼあはせ」のタイトルで所蔵してゐる16mmプリントは五十八分。8/66すなはち八分の一弱、結構派手に短いよね。挙句といふべきか、単なる半ば因果に過ぎないのか。今回視聴した元尺より多分八分短いストリーミング動画には、一応ど頭にタイトルは入るものの、渡辺護はおろか南ゆきさへクレジットは一切ない。抜けの方が多いスタッフはjmdbと日活公式、ビリングはオクに出てゐるポスターの画像から拾つて来た。と、いふか。誰が出てゐて誰が撮つてゐるのか、自力でどうにかしないと辿り着けない代物、何処のアングラだ。
 のつけから尼が張尺を吹いてゐるのに、さぐるどころか「つぼ合せ」ですらないのかと絶望しかけたのは、首の皮一枚繋がる早とちり。女と男の―画面―手前には、客もゐた。新人王戦に於ける、後遺症が残るほどの落車事故でドロップアウトした元競輪選手・シバタゴロウ(関)と、籍を入れてゐると思しきアサコ(南)が白黒ショーを終へての帰途。ゴロウは足が不自由で、アサコも風邪気味。草臥れた二人が寄り添ひながら長い階段を下りて来る、温泉街ロングの壮絶なエモーションに息を呑む。言葉は雑だがダメ人間をダメなまゝでなほカッコよく、美しく撮る。映画の慈しみに満ちた長く回すショットが、序盤・オブ・序盤にして火を噴く今作のハイライト。二人が帰還したのは、一応芸能プロダクションの体ではあるエイトプロダクション。マユミ(安田)の相方・キンコ(結局ぎりぎり不脱の三田恵胡)が風邪をひいて休んだため、蜻蛉の交尾にアテられた女学生が百合の花咲かせる筋立ての、白白ショーにアサコが再出撃させられる。
 配役残り、順番を前後して松浦康がエイプロ社長のカツタで、港雄一が兄弟格の岩さん。引退後身を持ち崩したゴロウが、博打で作つた借金の形にアサコ共々筋者のカツタに捕まつた格好。a.k.a.君波清の木南清は、二人が出会ふ小料理屋の親爺。長谷圭子は、自分達―だけ―の座敷にアサコとゴロウを呼んだ上で、アサコが気がつくと並行する形でオッ始めてゐる豪快さんカップル、男は五反田二郎かなあ。雑な白塗りのゴロウとアサコが呆然と見てゐる、もしくは見させられてゐるしかない、突き放した画が笑かせる。俳優部の顔を平然とブッた切る、明らかに元版とは異なるにさうゐないアスペクト比からへべれけなんだけど。解散したのが大山組なのか東西組なのか混濁する、脚本の不安定さはこの際さて措き、娑婆に出て来た大山組の松岡が、子分二人を連れ伊香保のシマをカツタらから奪還すべく動き始める。子分二人が五反田二郎でないなら、尾川磬と青柳康成なのは確実。眉を剃つた角刈りと、ギターウルフにゐさうなトッぽいグラサンの別は知らん。ただそれなりに精悍な松岡が、恰幅系の神原明彦にはどう見ても見えないぞ。その辺り、二三本ピンクに陰毛を生やした買取系がパブで平然と嘘をつくのに加へ、本クレも見当たらない以上最早万事休す。
 全ての濡れ場を中途で端折る小癪な不誠実については、消失した八分に免じて一旦等閑視するほかない。無造作に酷使された末、ショーの最中ゴロウは卒倒、不能になつてしまふ。アサコに客を取るやう強ひるカクタに対し、ゴロウとアサコが出奔を画策する一方、エイプロもエイプロで、松岡の出所を受け忽ち危機に見舞はれる。物語が大きく動揺する、中盤から終盤に至る展開までは割と磐石であつたのに。カツタから手篭めにされた、アサコの方をゴロウが責め、アサコもアサコで従順に詫びてみせる―それは従順ではなく盲従だ―地獄の如きシークエンスに、呆れ果てブラウザごと叩き閉ぢるのはまだ早い。その流れでゴロウがアサコを犯すプライベートの夫婦生活を通して、役立たずの役立たずがまさかの回復を遂げる絡みを感動的なクライマックスに設定する、煌びやかなほどの旧弊さこそ渡辺護が渡辺護たる所以。鉄砲玉を買はされたゴロウが、射殺したつもりの松岡が実は弾が外れてゐて、生きてゐるのを自首しに向かつた派出所の表で遠目に目撃。なあんだ、死んでゐなかつたのかでアサコと新しい人生をのほゝんと歩き始める。とかいふ底の抜けたハッピー・エンドはある意味衝撃的、量産型娯楽映画を実際に量産する修羅場の喧騒に於いてのみ許された、一筋縄で行かぬ凄味に眩暈を禁じ得ない、許されたのか。そもそも、角刈りが始末して呉れるカツタはまだしも、何がどうなつてゐるのか本当に判らない壮絶な画質の中、ゴロウを始末しようとした岩さんを、アサコが投石?で殺害する最低正当防衛は何処の棚に上げた。どうも当サイトは、事ある毎に何かと、渡辺護が有難がられるところのこゝろを未だ理解してゐない。

 もひとつ、フレーム外から手動で飛び込んで来る棒状の何かで演者の局部を隠す、原初的なフィジカル修正が琴線に触れる。ヒョイッ、擬音の耳に聞こえて来さうな風情が絶妙。


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