真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「桃尻同級生 まちぶせ」(昭和57/製作・配給:株式会社にっかつ/監督:小原宏裕/脚本:西岡琢也/企画:進藤貴美男/プロデューサー:中川好久《N・C・P》・結城良煕《N・C・P》/撮影:杉本一海/照明:木村誠作/美術:徳田博/編集:鍋島惇/録音:木村暎二/音楽:甲斐八郎/助監督:加藤文彦/色彩計測:高瀬比呂志/製作担当:鶴英次/スチール:井本俊康/出演:寺島まゆみ・太田あや子・高原リカ・森村陽子・藤ひろ子・梓ようこ・中丸信・上野淳・砂塚秀夫・石田和彦・島村謙次・松田章・桐山栄寿・広田正光・龍駿介、他・伊沢一郎《友情出演》)。配給に関しては事実上“提供:Xces Film”か。
 大阪ミナミ、たむろする「万引き売春のミキ」なる悪名を誇るミキ(寺島)とトルコ「天国」の未成年泡姫・圭子(高原)に、ノーパン喫茶で働くさおり(太田)が、セーラ服姿で合流する。因みに、三人の劇中設定年齢は十七歳。ここで、いの一番に最も肝要な点に触れておくと、主演の寺島まゆみは翌月の「ズームアップ 聖子の太腿」(二月/監督:小原宏裕)を皮切りに、「聖子の太腿 ザ・チアガール」(七月/監督:川崎善広)・「聖子の太腿 女湯子町」(十月/監督:中原俊)と、昭和57年に三作製作された「聖子の太股」シリーズ(憚りながら全て未見)に主演。当時“ポルノ界の聖子ちやん”と人気を博したとのことだが、少なくとも純然たる今の目で見てみると寺島まゆみと松田聖子が似ても似つかない以前に、歌は確かに上手いにしても所詮は芋臭い田舎娘の松田聖子よりも、パキッと都会的に洗練された寺島まゆみの方が余程美人に思へる。ミキは万引きを見咎められたガードマン(石田)をホテルに連れ込み、さおりと圭子は各々の店での、三者三様の濡れ場と裸見せを経て、ミキが行方を探す、家出した妹・チビの噂をさおりが掴んでゐたところから、漸く物語らしい物語が起動する。スカウトに訪れるとのトップレス・バーで張り込んだ三人の前に現れたチビ(森村)は、豪奢なマンションの一室に居を構へ、何と同級生の中学生売春の元締として羽振りのいい生活を送つてゐた。演出の力もあつてか、実際に幼く見える四本柱は全く以てどいつもこいつも、大阪始まり過ぎだろ。その場では脊髄反射の反発を露にしつつ、やがて圭子・さおり・ミキの時間差でチビの軍門に下る。一方、思ひ詰めた風情のクラブ歌手・ヒデオ(上野)がチビのマンションを急襲。チビを手篭めにしかかるが、ヒデオは勃たなかつた。筆卸をお願ひした歴戦、といふか直截には退役して頂くに若くはないベテラン売春婦・あかね(藤)に心を折られたトラウマで、ヒデオは童貞にして不能であつたのだ。ヒデオのマネージャー・緒形(砂塚)はクラブに通ひ始めたチビに、ヒデオのインポ治療を依頼する。
 その他配役判つてゐる限りで、登場順に中丸信は「天国」での圭子客、島村謙次がノーパン喫茶の店長。伊沢一郎はチビのパトロンの、ブルジョア老紳士。梓ようこは、ヒデオが歌ふクラブのママ・薫。緒形の情婦であることと、泥酔すると店内で脱ぎ始める形で、六人目のこの人も濡れ場を披露する。更に判らない勢が、三羽烏中学時代の鬼教師から、乞食に身を落とした太田元先生、ノーパン喫茶の常連客で難波署風紀課刑事の田中。チビから宛がはれた、ミキ・さおり・圭子を一人で圧倒する絶倫男。各店店内要員に加へ、薫のクラブは、裏では東南アジア出身の女を流し荒稼いでゐた。緒形の手引きで四本柱が潜り込む取引現場の、ヤクザ一同。
 したたかな少女達の生き様を活写する、一般映画と見紛ふ分厚さが眩いロマンポルノ黄金期の一作。尤も、“したたかな少女達の生き様を活写する”だなどと、我ながら他愛もない紋切型を持ち出すほかはないやうに、矢継ぎ早に繰り出され続ける女の裸込みで七十分をサクサクと観させる以外には、これといつてストーリー上の面白さや、テーマ的な踏み込みを見せる訳でも別にない。強弁するならば寧ろ、下手な映画的グレードの高さが禍し、却つて個々の要素を吟味し難くなる逆説的な薄さも、ピンクとの比較に於いては指摘し得るのではなからうか。一点看過出来ないのは、東海道新幹線のホームから姉はヒデオと東に、妹は老紳士と西に消え、さおりと圭子を呆れさせるラスト・シーン。直前のヒデオと緒形の関係性に関するオチが、カットの根も乾かぬ内に綺麗に忘れ去られるのは、幕引き際に不可解を残す明確な大雑把。ともあれ、ピンク映画とは違ふだとかいふ当事者―の一部―の意識への感情的な対抗も込みで、ロマンポルノといふと我々もとかく不必要に構へがちになつてしまふのかも知れないが、考へてみると普請の潤沢逼迫に形式的な差異のあるのみで、最終的には裸映画は同じ裸映画。自動車レースのレギュレーションとは訳が違ひ、個別の各作が到達する地平の高低なり遠近に如何ともし難い格差が予め設けられよう筈も勿論ない。さういふ至極当たり前でしかない認識に、この期に改めて逢着出来たことは、今作に触れてのひとまづひとつの収穫といへよう。

 然し本篇の中身と、合致させるどころか寄り添はせようとする気配さへ窺はせない豪快さんなタイトルではある。


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