真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「美白教師 本番性感講習」(1999『新任美術教師 恥づかしい授業』の2006年旧作改題版/製作:シネマアーク/提供:Xces Film/監督・脚本:中村和愛/企画:稲山悌二/製作:奥村幸士/撮影監督:小山田勝治/編集:酒井正次/助監督:石川二郎/出演:小野美晴・村上ゆう・風間恭子・麻生みゅう・真央はじめ・成尾文敏・千葉尚之・樹かず・相原涼二、他)。伊藤正治、北沢幸雄と並び立つ“沈黙するエクセスの宝石”、中村和愛の新版公開である。
 “Welcome to the Waai Nakamura world.”、と映画は何時ものやうに開巻する。
 春乃桜(小野)が鏡に映した、自らの裸身を写生する。スーツに身を包むと、桜は初登校する。新任美術教師としての、桜のスタートの日であつた。校長の杉山誠治(相原)、人当たりの良い学年主任の宮崎一夫(真央)、見るからに堅物な指導教官の西田京子(村上)らと挨拶を済ませ、桜は自らの担任するクラスへと向かふ。緊張の中、初めて取る出欠。髪をオレンジ色に染めた都築秋雄(成尾)といふ不良生徒の顔を見た桜は、思はず息を呑む。都築は、かつての桜の恋人・小川久義(成尾文敏の二役)とそつくりであつたのだ。ただ桜と小川とは、すれ違つてしまつてゐた。うららかな春の日、小川は桜にいふ。「春の小川は、さらさら流れて行くんだな」。小川の、桜への別れ台詞だつた。小川が、春乃―桜―に、「春の小川は、さらさら流れて行くんだな」。・・・・中村和愛、正直ダサいなあ。気の利いた別れの場面のひとつも演出したかつたであらう、気負ひは常々通りの丁寧な演出からひしひしと感じられはするのだが、今風にいふとキングコングのボケの方とナインティナインの岡村を足して二で割つたやうな成尾文敏の、どう転んでもロマンティックからは縁薄い風貌も相俟つて、どうにも序盤から苦笑を禁じ得ない。
 苦笑を禁じ得ぬままに、今回自ら手掛けた脚本は終始迷走。都築とかつての別れてしまつた恋人との酷似は何処吹く風、桜は初登場シーンから男前フラグを立てまくる宮崎に、言ひ寄られるとコロリと付き合ひ始めてしまふ。そんな宮崎に、今度は以前から想ひを寄せてゐた事務員の赤平頼子(風間)が猛然とアプローチ。勿論頼子が宮崎に以前から想ひを寄せてゐるといふ伏線も、中村和愛は初めにキチンと敷設済みである。要はキチンとしてゐる分、最終的には余計に始末が悪いのだが。宿直室で頼子主導で強引にセックスする宮崎を、退任の挨拶に訪れた京子と、ついて来た桜とが目撃する。怒るでもなく、ただ笑ふばかりの桜。その夜、小川からは別の女との結婚を報せる写真入の葉書が届く。便りと、ずつと持つてゐた小川の昔の写真とを桜は燃やす。小川のことも、吹つ切れた。
 はてさて、そこから結局どうしたものかといふと。授業で生徒に描かせた、石膏像のデッサンに目を通してゐた桜は目を丸くする。百瀬武(千葉)といふ生徒が描いて提出してゐたのは、石膏デッサンでも何でもなく、桜の裸身であつたのだ。しかも百瀬が描いた桜の裸身は、桜自身が描いたものと全く同じであつた。この人は私の本質を見抜いてゐて呉れる、と桜は百瀬と結ばれる。
 一体何が描きたいのだかサッパリ判らない。移り気な一人の女が、男を次から次へと変へてゐるだけではないか。百瀬が桜に特別な視線を向けてゐることは、既に最初の出欠を取るシーンから重複的に伏線はキチンと張られてゐる。だからキチンとしてゐるだけに。中村和愛の丁寧な演出も撮影監督とクレッジットされる小山田勝治の画作りも共に、高々六十分のプログラム・ピクチャーといつて、決して忽せになどするものかといふ志が伝はつて来る丹念な仕事であるだけに、余計に脚本のへべれけさ加減が目についてしまふのだ。
 自身による桜の裸身デッサン―即ち劇中百瀬の手によるものと同一物―も、実際には誰の手によるものなのかは勿論判らぬが、絶対にこんな程度では高校の美術教師になどなれる筈がない、と爽やかな笑顔で断言出来るヘナチョコぶり。そんな下手糞な絵で、私の本質を見抜いて呉れたもへつたくれもあつたものではない。底の浅い女の痛さを嘲笑すべき映画だとでもいふのか、中村和愛が、さういふ屈折した仕事をする人だとは無論思へないが。
 意図的に順番を前後させたものだが、校内見回りをしてゐた桜は、堂々とするにも程があるが放課後の教室でセックスしてゐた、尾関秀子(麻生)と山内明彦(樹)を目撃する。宮崎との事と、当時は未だ吹つ切れずにゐた小川への想ひの中で揺れてゐた桜は、幸福さうな恋人の二人を「避妊だけはしなさいね」、と咎めずに見逃す。ところが、桜が立ち去つた後に偶々校外から戻つて来た京子に見付かり、二人は停学になる。お礼参りとばかりに山内は京子を強姦し、京子は高校を去る。去り際の京子は、申し訳なささうに見送りに来た桜に、かつて見せたことのないやうな穏やかで優しい表情を見せる。淫らにバイオレントであり、且つ徒に類型的な展開である。これが中村和愛の仕事でなければ一々目くじらを立てることもないのだが、焦点の定まらぬ迷走する脚本の中で、あくまで純粋なシークエンス単位そのものとしてはしつかりと撮られてゐるだけに、重ねていふが余計にいい加減さが目についてしまふのである。
 さういふ残念な映画の中で、個人的に唯一の収穫は校長・杉山役の相原涼二。事前に下調べしてゐた時点では全く見覚えもない名前ではあつたが、何のことはない。栗原良、あるいはリョウ、更に時にはジョージ川崎その人である。一体この人は、幾つ名義を使ひ分ければ気が済むのだ。ひよつとすると実は未だ見ぬ第五―以降―の名前が更に存在するのかも知れないと思ふと、それはそれとして新たな楽しみではある。
 その他出演者は生徒役。クレジットには一応名前も載るが、拾ひ切れなかつた。役名もない端役にも、下校時に「Mステ見る?」といつたディテールを彩る台詞がキチンと与へられる。さう、この人の映画は終始キチンとしてゐるのだ。それだけに、自脚本の不出来が重ね重ね残念なのである。

 “Thank you for your having seen this Film.”と、映画は矢張り何時ものやうに幕を閉ぢる。


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