COLKIDが日々の出来事を気軽に書き込む小さな日記です。
COLKID プチ日記
12.7mm

Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S
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終戦の日に放映されたNHKの番組で、俳優の石坂浩二氏が戦時中の思い出を話されていた。
子供の頃、田舎の道を葬式の列が進んでいくのを遠くから見ていた。
そこに米軍の戦闘機が飛来して、列に向かって機銃掃射をした。
すると列に並んでいた人たちが、見ている目の前でどんどん消えて行ったという。
人間は機銃で撃たれると、消えてしまうものなのだ・・と話していた。
かなり衝撃的な光景であったろう。
戦闘機などの機銃に撃たれると、人間の身体は弾丸のパワーで吹き飛んで、一瞬で消えて無くなってしまう・・とはよく言われる。
漫画や映画のように、ああ、撃たれた、血が出た・・とかいうレベルではない。
身体が血煙となって無くなってしまうのだ。
機銃掃射は米軍の戦闘機だと思われるが、恐らく口径12.7mmのブローニング機銃であろう。
大半の米軍機がその機銃を搭載していた。
12.7mmというと中途半端な数字に聞こえるが、要は2分の1インチである。
拳銃弾の.44マグナムが、0.44インチで11mm程度なので、口径自体はそう極端には変わらないが、薬莢部分の大きさが全く違う。
一般に銃弾の威力は口径と速度によって算出され、結局は火薬量がものを言うので、航空機の積む機銃弾の威力は、ハンドガンの弾丸のパワーとは桁が違う。
子供の頃に戦時中の20mm機関砲の空薬莢を持っていたが、細めのバナナくらいの太さで、ペン立てに使っていた。
映画などもCGの台頭で、昔よりリアルな表現をするようになった。
映画の「プライベート・ライアン」だったか、市街戦の最中、機銃で撃たれた人の身体が一瞬で消えて無くなるシーンがあった。
恐らく人によっては、何が起きたのか意味が分からなかったろう。
気持ちが悪くなるような場面ではあったが、機銃で撃たれるとああなるのか・・と思った。
米軍の戦闘機の多くが、12.7mmの機銃を搭載している。
これに対し日本の零戦は開発当時から、より口径の大きい20mmを2門積んでいた。
戦後しばらくは、敗戦国特有の感情もあり、機銃のパワーでは勝っていた・・などと息巻く人もいた。
単純に数字だけで比較して大きいから・・というのが理由である。
しかし当時の証言を読むと、20mm機関砲を嫌がる声も多かったようだ。
確かに威力はあって、1発当たれば敵機の機体がバラバラになることもあったが、弾が大きくて重いために真っ直ぐ飛ばない。
そのため敵に当てるのが非常に困難だったという。
曲線を描いて落ちていくので、小便弾などと呼んで嫌がる人もいた。
その点12.7mmは直進性と威力のバランスが良く、それを多数積んだ敵機が羨ましかったという。
米軍機はこの12.7mmを両翼に何丁も積んで、雨あられのように弾丸を浴びせかける設計にした。
(実際にはこの機銃の信頼性がいまひとつで、作動不良を起こした時のために多数積んだという話もある)
グラマンやP-51ムスタングなどの多くのモデルは12.7mmを4~6丁、P-47サンダーボルトに至っては8丁も積んでいた。
その分機体が重くなるが、強大なエンジンパワーで強引に打ち消してしまった。
これは工業力の差で、日本には真似のできないやり方である。
確かに口径が大きい方が威力はあって、実際に零戦が登場した時は、20mmの破壊力が敵国に恐れられたという。
12.7mmの機銃ではパワー不足ではないか、という議論も米国内で出て、より口径の大きい機銃の開発も行われた。
しかし結局終戦まで、多くの航空機でこの装備、すなわち12.7mm機銃を多数搭載するという形が取られた。
どうもその理由の一つとして、防弾性能の低い日本機相手では、これで十分だったという事が挙げられるようだ。
12.7mmを浴びせかければ、多くの日本機は火を噴いて落ちていく。
一方で米軍機を相手にすると、防弾性能がしっかりしているので、口径の大きい20mm、あるいはそれ以上の弾丸が必要になる。
おかしな話であるが、口径を大きくして威力を増そうというのは、敵の性能が優れていて、それでないと太刀打ちできないから・・という事でもあるらしい。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
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戦闘機の機銃は、金属を貫通させて破壊する目的がありますから、威力はハンドガンとは違いますね。
それにしても、流石ガンにも詳しいですね!
トム・ハンクスとも意気投合したみたいで、リアルな描写のテレビシリーズとか作っていました。
機銃の弾丸は数亜音速で回転しながら飛んできて、瞬間的に口径の何倍もの直径の穴を開けるので、生物の肉体は蒸発したように消えてしまうでしょうね。
学校なども対象になった。完全に戦争犯罪だけど戦後追及される事はありませんでした。
一方で撃墜された米軍パイロットの大多数は、捕虜扱いではなく戦争犯罪人(無差別爆撃を戦争犯罪と解釈)として日本軍は処刑しました。
戦後、関係者は戦犯として処分されました。
機銃掃射は飛行速度が加わる為、口径、火薬量、以上の威力になるようです。
上空をすれ違う戦闘機のパイロットと目が合ったそうです。
その戦闘機が小学校に行って機銃掃射して数人の子供が犠牲になりました。
戦争中はそういうことは日常的に行われていましたね。
墜落したB-29の搭乗員の多くも日本の地域住民に竹槍などで殺害されました。
残酷に思いますが、目の前で身内を焼き殺した相手ですから、民間人が「憎い、憎い」と殺そうとして手に負えなかったようです。
今となっては異常な事なので、地域で隠しているとは思います。
茨城県で消防団の男性たちが、負傷したB-29の搭乗員数人を捕虜として民間人から守った例があるのですが、結局陸軍が連行して斬首したそうです。
飛行機の機銃は、その場で足がすくんで動けなくなるほどの物凄い発射音に聞こえたそうで、飛行機の速度が加わって音速を超えて衝撃波が発生してのかなとも考えていました。
屋根を貫通して畳が浮き上がったと言っていました。
昭和何年かも分かりませんが仮に昭和20年だったとして父が6歳。
上空からどこまで認識できるか分かりませんが僅か6歳の子供を遊びで殺そうとしたとしか思えません。
まさしく鬼畜米英。
墜落した爆撃機の搭乗員である黒人兵を飼うという。
大江は大洲の山の中出身です。
同じ大洲市でも松本零士が疎開していたのは肱川流域の八多喜地区ですね。
水が美味しくて美人が多く水郷と言われています。
ご存知でしょうが松山343空の紫電改が迎撃のため大洲の山肌をかすめたのを目撃したと。
その轟く爆音が忘れられないと言っていましたね。
目の前で無差別に一夜で何万人も焼き殺されるのですから、その張本人が降りてくればただでは済まないですね。
そのため米軍は、日本の本土に墜落したらまず助からないので、できるだけ海上に不時着して助けを待つほうが、生き残る可能性があると教えていたようです。