酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

井上ひさし著「十二人の手紙」にちりばめられた真情とフェイク

2024-03-11 21:22:03 | 読書
 東日本大震災から13年が経った。3・11は俺の人生を公私とも大きく変える。反原発運動に取り組むきっかけになったし、被災地にも何度か足を運んだ。国の貌が変わることを期待したが、現実を見据えると暗澹たる気分になる。原発事故被害者への公的支援は次々に打ち切られ、生活困窮、環境汚染、地域社会の分断が進んでいる。日本政府は気候危機への対策を名目に、再生可能エネルギーの拡大を阻害する原発の再稼働を邁進しているのだ。

 最寄り駅近くの本屋で平積みされていた「十二人の手紙」(中公文庫)を読了した。井上ひさしが1978年に発表した13編からなる連作ミステリー短編集で、<隠された名作ミステリ どんでん返しの見本市だ!>の帯が本作を言い当てている。芝居に興味がない俺は井上と縁がなく、読んだのは小説「吉里吉里人」、戯曲「円生と志ん生」に次いで本作が3作目だ。

 タイトル通り、全編が手紙で進行する。♯1「プロローグ 悪魔」が起点になっており、♯1のみならず12編の登場人物が♯13「エピローグ 人質」で一堂に会する。1978年といえば俺が上京して1年後で、他者とどのように交流していたのか思い出しながら読み進めていた。俺の中で手紙を書くという行為は風化しており、妹が送ってくれた手紙にも返信しなかった。

 ♯2「葬送歌」に現れる戯曲は小林多喜二虐殺事件を題材にしているが、女子大生は文壇の実力者である中野慶一郎に仕掛けを講じている。その中野は♯11「里親」にも再登場していた。♯3「赤い手」は公文書を多用した構成だが、その分、修道院を出て生々流転した女性の悔恨に満ちた手紙が胸を打つ。改心した彼女の再スタートの道を閉ざしたのは♯5「第三十番善楽寺」の主人公だった。

 ♯4「ペンフレンド」は若い女性となりすまし男のやりとりが面白い。♯6「隣からの声」は壊れてしまった新妻の孤独が迫ってくる。一つ作品を選ぶなら♯7「鍵」だ。聾唖者で画家の鹿見木堂は鞍馬に籠もり絵を描いている。木堂と東京の妻との手紙のやりとりで進行するが、妻から送られた事件の知らせを木堂は離れた場所で鮮やかに解き明かす。名探偵は♯13「エピローグ 人質」にも再登場し、事件の真相を妻に言い当てた。

 現在ほどではないが、貧困や格差にどう対応すべきか、善意をいかに表現すべきかをテーマにしたのが♯5「第三十番善楽寺」と♯8「桃」だ。今から四十数年前、ジェンダーはどのような意味を持っていたのか考えさせられる作品もある。♯9「シンデレラの死」と♯10「玉の輿」は明暗くっきりで、♯9は送られなかった手紙の虚偽の内容が悲しいし、♯10は真情を吐露したことで未来が開けた。

 ♯11「里親」は、〝里親〟と〝砂糖屋〟の捉え違いが悲劇を生む。溌剌としていた主人公の女性は影を帯びて♯13に現れている。♯12「泥と雪」は青春時代の雪のような情熱が泥に塗れていくトリックに愕然とさせられる。ファンではないから井上の経歴は詳しくないが、政治的な発言で物議を醸したこともあったという。本作を読むと、井上が人間の心に潜む悪や影を知り尽くしているのがわかる。悪い奴だったに違いない。

 「PERFECT DAYS」のアカデミー国際長編映画賞受賞はならなかった。受賞作はアウシュヴィッツを扱った「関心領域」だが、俺は見ないと思う。ガザでのホロコーストでイスラエルを非難する良識派を、大メディアを仲間につけて<反ユダヤ主義>と一括りにする動きに不安を覚えるからだ。
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