酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「輝ける闇」再読~開高健の怜悧な言葉の爆弾に焦がされる

2022-10-01 18:16:28 | 読書
 佐野眞一氏が肺がんで亡くなった。享年75。晩年は盗作問題で第一線から退いていたが、社会と対峙し続けたジャーナリストの死を悼みたい。当ブログで著書を10作以上紹介している。「唐牛伝 敗者の戦後漂流」(遺作?)も充実した内容だったが、感銘を覚えた作品を一つ挙げれば「東電OL殺人事件」だ。

 中立と公平がジャーナリストの生命線なら、対象に強いシンパシーを抱く佐野氏は異端である。佐野氏は<彼女(被害者)は堕落に赴くその過程で、ふだんはマスとして街の底に沈んでいる群衆のひとりひとりから一回限りの生ある「物語」を紡ぎ出していった。彼女がかかえた内面の闇こそが、路上の人びとの「物語」に生彩を与える光源だった>と記している。

 「東電OL殺人事件」の舞台は東京だが、戦地ベトナムで光と闇のコントラストを描き切った小説を再読した。開高健の代表作「輝ける闇」で、40年以上のインタバルがある。学生時代、開高の小説を読むたび、言葉の爆弾に火照った心を冷ますため、部屋を出て夜の街を歩いた。「寒いよ、マイルス」は谷川俊太郎の名言だが、開高の言葉の塊も、熱く、そして冷たかった。

 開高は1964年11月、朝日新聞特派員としてベトナムに赴き、最前線で南ベトナム軍に従軍する。サイゴンでの生活を含めて「輝ける闇」を発表したのは3年後だった。部隊200人中、生存17人というベトコンとの熾烈な戦闘を体験したことは、本作後半に記されている。

 記者として取材を重ね、ベトナム戦争の特異性を明らかにしている。毎日3時間の休戦時間を、政府軍も米軍もベトコンも守る。開高は<真昼の深夜>、<けだるい仮死>と表現している。不正がはびこる政府軍だが、若いベトナム兵に敬意を抱き、文化的な接点が多い米兵とも交遊する。最も親しく接したのは日本の新聞社で助手として働くチャンと、その妹の素娥だ。

 仏教の高僧、クエーカー教徒の米国人、表だって活動出来ない当地のインテリたちと革命、小説、哲学について議論する場面に、開高の見識の高さが滲んでいる。魔法の魚騒動、20歳前後の青年の公開処刑、歓楽街の底にあるアンダーグラウンドなど、積極的にサイゴンを散策したことも窺える。美食家の開高らしく、記者たちとの食卓での交流も綴られていた。
 
 魯迅の言葉を引用し、<革命者でもなく、反革命者でもなく、不革命者すらないのだ。私は狭い狭い薄明の地帯に佇む視姦者だ>と記している。作品に通底するのは自嘲的なトーンで、言葉の矢は日本のインテリにも向けられ、<巧妙な処世ぶりを見せる日本の知識人>と手厳しい。チャンに東京について尋ねられ、<豊富で貧しく、華麗で醜悪、軽薄で精悍な東京は四千㌔かなたにある。けだるくて苛烈な都だ>と心の内で語る。

 ホーチミンについての記述も興味深い。ホーチミンは当地で絶対的な存在として神格化されていたが、蜂起した農民たちを弾圧した史実を詳らかにしていた。帰国後、ベ平連に加わった開高だが、左派との折り合いがつかず運動から離れる。この経緯に重なるのがジョージ・オーウェルだ。「動物農場」を翻訳するだけでなく、評論を発表するなど、オーウェルに敬意を抱いている。オーウェルはスペイン戦争でトロツキー系の義勇軍に参加したが、開高も実際にベトナムに赴くことで、無謬の〝革命神話〟に疑義を抱いたのではないか。

 再読して気付いたのは、素娥との情事の場面の稠密さ、濃厚さだ。刹那的かつ官能的で、手指の蠢きから光と影が交錯する広大で無明な世界に飛翔している。エロチックでありながら、同時に崇高なのだ。俺はかつて<三島由紀夫はモーツァルト、開高健はベートーベン>と評したことがあるが、両者以上の日本語の使い手は存在しないと思う。

 あれこれ記すには力量不足で、日本文学の白眉といえる本作を一読してほしい。鋭敏な開高は、他人の心の内や俗情の在り処を透明なナイフで抉ってしまう。不可視を見抜くことへの恐怖が、酒へ、釣りへと開高を誘ったのだろう。麻痺することで正気を保てたのではないか。

 訃報を知った。亡くなったアントニオ猪木さんについては、次稿の枕で記すことにする。
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