酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「牡蠣工場」~狭い間口の奥に広がる小宇宙

2016-03-17 22:41:42 | 映画、ドラマ
 一昨日(14日)、「第124回江戸川落語会」(総合文化センター)に足を運んだ。新小岩駅前でタクシーに乗って行き先を告げると、「イベントがあるんですか」と運転手さんに尋ねられる。「落語会です」と言うと、「私、落語ファンで、寝ながら志ん生や圓生のCDを聴いてるんです。現役の噺家、あのレベルじゃないでしょう?」と聞かれる。「どうなんでしょうね」と言葉を濁すしかなかった。

 古今亭文菊「棒鱈」→柳家喬太郎「抜け雀」→三遊亭白鳥「千葉の棒鱈」→喬太郎「ハワイの雪」の豪華なラインアップで、チケットは早々にソールドアウトだった。37歳の文菊は真摯に古典と格闘し、ともに52歳の喬太郎と白鳥は巧みな間と客席との掛け合いで笑いの渦を広げていた。温もりと煌めきに触れ、冷たい風雨にも余韻は去らなかった。

 ミニ・スーパーチューズデーでクリントン前国務長官に差を広げられたサンダース上院議員だが、支持者は意気軒高だ。5年前の反組合法への抗議→ウォール街占拠で覚醒した若者たちは異口同音に、<今回はあくまで通過点。州議会選挙、中間選挙でサンダースに考えが近い候補を応援し、世の中を変えたい>と語っている。日本でも数年後、<汚れた永田町の地図>を塗り替えるうねりが起きるだろうか。

 経歴詐称を暴かれたショーンマクアードル川上氏だが、「報道ステーション」におけるコメントに違和感を覚えなかった俺もまた、騙されていたのだろうか。永田町にだって怪しい輩が揃っている。放射能汚染について無知をさらけ出した丸川珠代環境相、保育所問題で酷い野次を飛ばした平沢勝栄議員はともに東大卒で、それぞれテレビ朝日、警察官僚を経て国会議員になる。言論封殺に前向きな高市早苗総務相は神戸大卒業後、近大教授だった。彼らは詐称こそしていないが、経歴は腐臭を放っている。

 シアター・イメージフォーラム(渋谷)で先日、想田和弘監督の観察映画第6弾「牡蠣工場」(15年)を見た。デビュー作「選挙」(07年)しか見ていないが、宇都宮健児氏とのトークセッション、「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」(13年、ジャンフランコ・ロージ監督)の初回上映記念イベントで、柔和な素顔に接した。「映画も撮ってるんですかとよく言われます」と自嘲的に話していた通り、想田監督は政治的発言や著作でも知られている。

 観察映画とは何か。台本、テロップ、ナレーション、音楽がない。先入観を排し、予定調和とも無縁だ。偶然が重なって、牛窓町(岡山)の牡蠣工場でカメラを回すことになる。撮影は7日間だが、編集には9カ月を要したという。スタッフは監督と奥さんの柏木規与子さん(製作担当)の2人で、スポンサーはいない。

 撮る側と撮られる側の距離が次第に縮まり、本音が引き出されていく。賄い担当の女性と話しているうち、監督自身が奥さんとの馴れ初めを披露するシーンが微笑ましかった。観察映画が成立する最大の条件は、周りを自然体にさせる監督の柔らかなムードかもしれない。本作には〝主演〟が存在する。冒頭で寝そべっていた白猫で、彼(彼女)の目で映画に入り込めた。その後も頻繁に登場し、見る者を和ませる計算外の効果があった。

 牡蠣工場の玄関が繰り返し現れる。少年時代を過ごした京都のウナギの寝床を思い出していた。間口は狭いのに奥行きがある建物と本作は、構図が似ている。過疎の進行、後継者に悩む漁師、硬直化した行政……。カメラが捉える光景に、グローバリズムの現実、日本の未来図が反射していた。

 フリッツ・ラングやチャプリンは、効率とスピードに翻弄される労働者を諷刺していたが、牡蠣工場は意外なほどシステマチックだった。牡蠣棚での採集、剥き作業、出荷準備、殻の廃棄、清掃とテンポ良く進行する。鈍臭い俺など、数日でクビになるに違いない。熟練の技に見入ってしまったが、全工程を把握しているのは、工場を継ぐ渡辺さん(記憶違いならすみません)だ。渡辺さんは三陸海岸で牡蠣工場を経営していたが、放射能の問題もあり、震災後は家族で牛窓に移住した。監督の意図しないところで、瀬戸内海と東北が繋がったのだ。

 2人の中国人が工場にやって来た。軍事力増強、爆買いなど話題に事欠かない中国だが、多くの労働者がブローカーの仲介で出稼ぎに来日するという仕組みが厳然と存在する。2人はともに若く、おばちゃんたちから「イケメンやな」なんて声が上がるほど爽やかなルックスだ。教育係は渡辺さんで、2人は少しでも役に立とうと必死になっている。

 日中友好、あるいは反中と浮ついた言葉が蔓延しているが、2人の若者が日本のルールや習慣に馴染むのか、それとも反発するのか興味を覚えた。想田監督には彼らに焦点を当てた「牡蠣工場Ⅱ」を期待したいが、そのような問題意識は、観察映画の基本から逸脱しているのだろう。

 予告編で見ようと決めた映画が3本ある。「あまくない砂糖の話」、「光りの墓」、「シリア・モナムール」だ。この春はイメージ・フォーラムに何度も通うことになりそうだ。
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