菊花賞は牝系の祖父がサクラバクシンオーのキタサンブラックが①着、鞍上の福永が距離不安に言及していたリアルスティールが②着と、俺にとって想定外の結果に終わった。血統評論家たちは商売上がったりである。POG指名馬タンタアレグリアの④着は健闘の部類だろう。今後の飛躍に期待した。6頭出走した2歳の指名馬は2勝を挙げ、ひと息ついた。
パソコンだけでなくDVDまで故障し、市販のディスクを視聴出来ない。仕方なく友人宅でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ライヴ・アット・フィンズベリー・パーク」を見た。社会現象になった〝事件〟によって実現したライヴである。
イギリスではクリスマスの週、「Xファクター」(オーディション番組)のチャンピオンが歌う曲がチャート1位に輝くのが〝お約束〟になっている。だが09年、支援活動によってホームレスから社会復帰を果たしたジョン&トレーシーのモーター夫妻が、フェイスブックで反抗を呼び掛けた。<格差と貧困が深刻な社会で、レイジの曲こそクリスマスに相応しい>というのが2人の思いで、17年前にリリースされた「キリング・イン・ザ・ネーム」を選ぶ。
♪殺戮の権限を与えているのは誰だ この世界を操る権力の中枢には 十字架を燃やす連中と 同類の者がいる バッジを着けた選ばれし白人が相手なら 彼ら(抵抗する者)の死はやむをえないというのか……というラディカルな歌詞だが、パゾリーニが「奇跡の丘」で描いた革命家イエスの誕生日を祝う歌と考えればピッタリだ。
僅差で「キリング・イン・ザ・ネーム」が1位を獲得し、レイジのスポークスマンは英国でのフリーコンサート開催(翌年6月)、ホームレス支援団体への収益の全額寄付を表明する。8万人を集めた祝祭ライヴが本作に収録されている。MCでガザ封鎖を続けるイスラエル政府を非難するなど、従来の姿勢は変わらないが、ザックが時折、笑みを浮かべるなど柔和になった印象を受けた。辺見庸は客席後方を見据えながら「公安の皆さん、ご苦労さんです」と講演を切り出したことがあったが、レイジのアリーナツアーには100人単位のFBIが紛れ込み、バンドや聴衆をチェックしていた。場所は英国で、権力との緊張関係から既に解放されていることもあり、バンドもリラックスして楽しんでいたのだろう。
サウンド的にはミクスチャー、オルタナの先駆けとされるが、メッセージ性はバンドだけでなく社会に大きな影響を与えた。今回はなかったが、ステージにはゲバラの肖像が高々と掲げられ、同じデザインのTシャツを着た人が世界を闊歩している。サパティスタの支持者ザックとハーバード首席卒業のトム・モレロが創り出す知的でラディカルな世界観により、レイジは「反グローバリズム」のシンボルになる。このライブの翌年、ロンドン蜂起が起き、ウォール街占拠の起点になった。そして4年後、英労働党の左派転回だけでなく、欧米で「反資本主義」のうねりが起きた。
クラッシュの「白い暴動」を演奏するなど、ザックはザ・フーやパンクロッカーへのオマージュを語っていた。レイジの魂も幾多のバンドに受け継がれているが、ミューズもそのひとつだ。07年にフジロックで来日した際、レイジから受けた影響を語っていた。前回のツアーでは巨大なピラミッドを逆さまに吊るし、「ヒエラルヒー(権力構造)をひっくり返したいという思いの表現」とインタビューに答えていた。
新宿武蔵野館で先週末、イラン映画「ボーダレス ぼくの船の国境線」(14年、アミルホセイン・アスガリ監督)を見た。<イラン映画には神が宿る>と記してきたが、寓意に満ちた本作も神話の高みに達していた。一幕物といってよく、舞台はイランとイラクの国境地帯に廃棄された船だ・住み着いているイラン人の少年、闖入したきたイラクの少年兵――実は少女で赤ん坊を連れている――、アメリカの脱走兵が言葉の違いを乗り越え心を寄せていく。
俺は多様性の尊重、アイデンティティ-の浸潤を志向しているが、奇麗事、絵空事といわれても強くは返せない。トルコ大使館前の乱闘が物語るように、世界中で差異が憎悪のもとになり、人々を暴力へと駆り立てている。だが、廃船でボーダレスが実現した。中心に位置するのは少年で、生活力に溢れ、少し年上の少女に優しく接する。父性と母性を備えた少年、破壊兵器があると騙され戦地に送られた米兵、家族を殺した米軍への憎しみを緩和していく少女……。緩やかな円を紡ぐ3人の紐帯になったのは赤ん坊だった。
エンディングが謎めいているのはイラン映画の常だが、理想郷は果たして? 痛切なラストに余韻は去らない。権力と折り合いを欠くイランの監督は多いが、本作は幸い? にも大使館協賛だ。政治状況を超え、人間の悲しみ、孤独、慟哭を描いた普遍性を持つ作品といえる。
音楽、映画とジャンルは異なるが、自分の世界観を再確認できる作品に触れた幸せな週末だった。
パソコンだけでなくDVDまで故障し、市販のディスクを視聴出来ない。仕方なく友人宅でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「ライヴ・アット・フィンズベリー・パーク」を見た。社会現象になった〝事件〟によって実現したライヴである。
イギリスではクリスマスの週、「Xファクター」(オーディション番組)のチャンピオンが歌う曲がチャート1位に輝くのが〝お約束〟になっている。だが09年、支援活動によってホームレスから社会復帰を果たしたジョン&トレーシーのモーター夫妻が、フェイスブックで反抗を呼び掛けた。<格差と貧困が深刻な社会で、レイジの曲こそクリスマスに相応しい>というのが2人の思いで、17年前にリリースされた「キリング・イン・ザ・ネーム」を選ぶ。
♪殺戮の権限を与えているのは誰だ この世界を操る権力の中枢には 十字架を燃やす連中と 同類の者がいる バッジを着けた選ばれし白人が相手なら 彼ら(抵抗する者)の死はやむをえないというのか……というラディカルな歌詞だが、パゾリーニが「奇跡の丘」で描いた革命家イエスの誕生日を祝う歌と考えればピッタリだ。
僅差で「キリング・イン・ザ・ネーム」が1位を獲得し、レイジのスポークスマンは英国でのフリーコンサート開催(翌年6月)、ホームレス支援団体への収益の全額寄付を表明する。8万人を集めた祝祭ライヴが本作に収録されている。MCでガザ封鎖を続けるイスラエル政府を非難するなど、従来の姿勢は変わらないが、ザックが時折、笑みを浮かべるなど柔和になった印象を受けた。辺見庸は客席後方を見据えながら「公安の皆さん、ご苦労さんです」と講演を切り出したことがあったが、レイジのアリーナツアーには100人単位のFBIが紛れ込み、バンドや聴衆をチェックしていた。場所は英国で、権力との緊張関係から既に解放されていることもあり、バンドもリラックスして楽しんでいたのだろう。
サウンド的にはミクスチャー、オルタナの先駆けとされるが、メッセージ性はバンドだけでなく社会に大きな影響を与えた。今回はなかったが、ステージにはゲバラの肖像が高々と掲げられ、同じデザインのTシャツを着た人が世界を闊歩している。サパティスタの支持者ザックとハーバード首席卒業のトム・モレロが創り出す知的でラディカルな世界観により、レイジは「反グローバリズム」のシンボルになる。このライブの翌年、ロンドン蜂起が起き、ウォール街占拠の起点になった。そして4年後、英労働党の左派転回だけでなく、欧米で「反資本主義」のうねりが起きた。
クラッシュの「白い暴動」を演奏するなど、ザックはザ・フーやパンクロッカーへのオマージュを語っていた。レイジの魂も幾多のバンドに受け継がれているが、ミューズもそのひとつだ。07年にフジロックで来日した際、レイジから受けた影響を語っていた。前回のツアーでは巨大なピラミッドを逆さまに吊るし、「ヒエラルヒー(権力構造)をひっくり返したいという思いの表現」とインタビューに答えていた。
新宿武蔵野館で先週末、イラン映画「ボーダレス ぼくの船の国境線」(14年、アミルホセイン・アスガリ監督)を見た。<イラン映画には神が宿る>と記してきたが、寓意に満ちた本作も神話の高みに達していた。一幕物といってよく、舞台はイランとイラクの国境地帯に廃棄された船だ・住み着いているイラン人の少年、闖入したきたイラクの少年兵――実は少女で赤ん坊を連れている――、アメリカの脱走兵が言葉の違いを乗り越え心を寄せていく。
俺は多様性の尊重、アイデンティティ-の浸潤を志向しているが、奇麗事、絵空事といわれても強くは返せない。トルコ大使館前の乱闘が物語るように、世界中で差異が憎悪のもとになり、人々を暴力へと駆り立てている。だが、廃船でボーダレスが実現した。中心に位置するのは少年で、生活力に溢れ、少し年上の少女に優しく接する。父性と母性を備えた少年、破壊兵器があると騙され戦地に送られた米兵、家族を殺した米軍への憎しみを緩和していく少女……。緩やかな円を紡ぐ3人の紐帯になったのは赤ん坊だった。
エンディングが謎めいているのはイラン映画の常だが、理想郷は果たして? 痛切なラストに余韻は去らない。権力と折り合いを欠くイランの監督は多いが、本作は幸い? にも大使館協賛だ。政治状況を超え、人間の悲しみ、孤独、慟哭を描いた普遍性を持つ作品といえる。
音楽、映画とジャンルは異なるが、自分の世界観を再確認できる作品に触れた幸せな週末だった。