酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

遠野、釜石、気仙沼、南三陸、石巻~被災地で感じたこと

2015-10-14 20:32:48 | 社会、政治
 あす15日、59回目の誕生日を迎える。俺が最近、心を打たれたのは、先日(6日)、100歳で亡くなったグレース・リー・ボッグズの<世界を変えるためには、まず我々自身が変わること>だ。言葉をまき散らかしている俺にとって、人生の道標になる至言である。

 11日夜、寺山修司生誕80年記念音楽祭「冥土への手紙」初日に足を運んだ。濃密な時間を過ごしたが、感想は次稿に記したい。帰宅すると〝事件〟が起きていた。パソコンが立ち上がらないのである。応急処置が事態を悪くしたのは確実で翌朝、後ろ髪を引かれる思いで東北に向かった。昨年の福島に続く被災地への旅である。本稿は帰京後、ネットカフェでアップしている。

 最初に訪れたのは遠野の「柳田國男展示館」だ。「遠野物語」の作者で民俗学者である柳田國男の軌跡に触れた。柳田が民俗学に興味を抱いたきっかけは、当時まだ残っていた間引きの風習を目の当たりにしたことだ。遠野物語に登場する物の怪たちは、人々の罪の意識が作り出した、生者と死者を紡ぐよすがなのだろう。柳田の感覚は寺山修司に似ているような気がする。

 釜石の津波被害も甚大で、海から2㌔ほど離れた宿泊先のホテルも数十㌢、水に浸かったという。50㍍弱の「釜石大観音」が陸中の海を見守っていた。壮大な外見だけでなく、胎内には三十三観音が展示されており、煩悩の塊である俺の汚れた魂を磨いてくれる。至高のモニュメントなのに、あまりの閑散ぶりが悲しくなった。

 三陸鉄道とBRTを乗り継いで南三陸に向かう。窓の外を眺めているうち、怒りが込み上げてきた。地震から4年半、復興は遅々として進まず、被災地から離れる人は後を絶たない。東北の生々しい傷痕を放置して開催される東京五輪とは<国家的犯罪>ではないか。川内原発2基の再稼働が決定した。復興の遅れといい原発再稼働といい、日本政府は倫理や良心を持たず、人々の痛みを顧みない獣になった。沖縄で起きていることも同様である。

 では、どうすればいいのか。巷では永田町の地図を前提にした合従連衡が叫ばれている。でも、根本から仕組みを変えない以上、パッチワークに過ぎない。2011年を起点にした<ラディカル・シフト>が欧米に広がっている。日本で今年起きた抵抗運動が5年後に地殻変動をもたらすための準備を今、始めるべきだ。

 気仙沼で乗ったタクシーの運転手は、左右に広がる傷痕を説明してくれた。南三陸で泊まった「ホテル観洋」は当時、近隣の人たちに施設を開放したことで世界でも知られている。被災地バスツアーでは、実際に起きたことを具体的に知らされ、衝撃を受ける。自己犠牲の精神を発揮して亡くなった方々に胸が熱くなった。絶望とか希望、孤独とか絆……。血肉になっていない薄っぺらな言葉を吐いていたことが恥ずかしくなった。

 石巻は旅程上、滞在時間が短かったが、ボランティア関連施設で被害について教わった。来年は石巻と女川を中心に訪ねてみたい。石巻は俺が敬意を抱く辺見庸の出身地である。震災後に発表した2冊つの詩集を再読してからになる。
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