酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

落語と桜を愉しみつつ、日本の現状を考える

2014-04-08 23:13:51 | 独り言
 週末は鈴本演芸場の夜の部に足を運んだ。若手本格派の古今亭文菊、ぶっ飛んでる春風亭百栄、豪放な橘家文左衛門、毒とクールを併せ持つ春風亭一之輔ら充実したラインアップで、ほぼ満員の盛況だった。落語だけでなく曲芸、奇術と匠の芸も堪能する。ホンキートンク(漫才)の切れ味とテンポに魅せられた。

 一之輔は枕で、「シャブの売人(?)とその客(百栄)ら怪しい輩ばかり」と楽屋の面々を揶揄していた。佇まいの危険な面々が雁首を揃えていたが、落語に登場するのは怪しいというより、間抜け、強欲、早とちりといった連中で、彼らが引き起こす騒動が何となく収まって(オチて)、客席は笑いの渦に包まれる。創作落語の百栄以外、馴染みのある噺が続いたが、各の才気と工夫に時間が経つのを忘れていた。

 終演後、徒歩数分の上野公園と不忍池を訪ね、夜桜を観賞する。入場無料の施設ゆえ、ライトアップの趣向はないのだろう。仄かな月明かりの下、散りかけた桜もまた風情があった。寒さもあって宴も一段落し、退出する若者たちと擦れ違う。さあ二次会といったところだった。

 落語に桜と感性が<和化>したのは、五十路を越えた者に必然の現象だが、東日本大震災と妹の死が大きかった。俺はもともと非論理的人間で、無常観や情緒に振れる傾向がさらに強くなった。日本、そして日本人についてのイメージは、それぞれ大きな隔たりがある。安倍内閣支持者は<強さこそ正しい日本人像>と考え、俺みたいに<寛容と調和>に価値を置く者は少数派だ。

 安倍首相の<戦前回帰と右傾化>に警鐘を鳴らす声は強いが、同時に感じるのは<集団化>と<鎖国化>だ。日本を戦争に導いたのは、陸軍、とりわけ関東軍の暴走というのが定説だが、NHKが3年前に放映した「日本人はなぜ戦争に向かったのか」(全4回)は、興味深い事実を提示していた。

 国内では穏健派の軍部官僚が満州に赴任すると、イケイケに転じる。逆もありで、強硬意見を主張していた関東軍幹部が東京に帰任すると突然、慎重派になる。誰しも状況に応じて立場を変え、一貫して好戦的だったのは、昭和天皇から絶大な支持を得ていた東条英機ぐらいではなかったか。

 大恐慌後、労働者や農民の命懸けの闘いは凄まじい弾圧で敗北するが、怒りと熱気は排外主義に取り込まれた。むのたけじは番組内で、「新聞社はポピュリズムに乗って強硬論を主張し、部数を伸ばすためにも戦争ムードを煽った」と証言していた。<集団化>した日本が真空状態のまま戦争に突入したというのが、真実に近いのかもしれない。

 ちなみに森達也は「クラウド 増殖する悪意」で、異物をチェックし、敵を見つける過程で形成された帰属意識の上に成立するのが安倍政権と分析している。個々がコミュニティーにおける同調圧力(=集団化)に逆らうことが変革のスタートラインだが、自由の気風が沸き立つ気配はない。

 <鎖国化>もかなり深刻だ。普天間基地の辺野古移設、秘密保護法について、海外の識者が反対声明を出した。〝日本はどうなっているのか〟という危惧が先進国に広がっているが、国内で同調する声は小さい。俺が死刑廃止を存置派に振っても、「日本には独自の文化があるから」、「日本はECと関係ないから、廃止する必要はない」と一蹴され、議論はジ・エンドになってしまう。意識をグローバル化するはずのインターネットが普及した結果、タコツボ社会が生まれたというのも皮肉な話だ。

 「SIGHT」最新号の表紙に「原発、秘密保護法、靖国参拝に反対する私たちは少数派だとは思えない」と記されているが、世論調査の結果からも明らかに〝私たちは少数派ではない〟。だが、永田町は国民の声と懸け離れている。

 公明党は武器輸出に賛成して〝平和の党〟の仮面を捨て、原発再稼働賛成の連合に牛耳られた民主党は「対トルコ原子力協定」に賛成した。愕然としたのは結いの党だ。「護憲と脱原発を軸にした勢力が結集する可能性がある」と昨年末の講演で語っていた古賀茂明氏だけでなく、天木直人、田中秀征の両氏も江田憲司代表に期待を寄せていたはずだが、改憲を主張する維新と合流する。

 文句を言っていても仕方ない。俺は「反貧困ネットワーク」と「未来の福島こども基金」の会員だが、よりアクティブに社会に関わるため緑の党に入会した。緑の党は上記した<寛容と調和>を希求し、池澤夏樹や星野智幸が志向する<アイデンティティーの浸潤>と重なる。入会したばかりで様子見状態だが、いずれ語り合える友が出来たら幸いである。
コメント (2)
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