酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「思秋期」~胸を打つ再生と共生の物語

2012-10-31 23:48:47 | 映画、ドラマ
 交通機関で人身事故が相次いでいる。迷惑至極と憤りつつ、自殺者の苦悩を自らに重ねる人も多いはずだ。既得権益に守られた1%による1%のための政治が進行し、この世を覆う殺伐と閉塞は、俺の心にも浸潤している。

 新宿で先日、俺の心情と妙に重なる映画を見た。世界中の映画祭で栄誉に輝いたパディ・コンシダインの長編デビュー作「思秋期」(英、11年)である。舞台はリーズで、主人公のジョセフ(ピーター・ミュラン)はアイリッシュの中年男だ。絶望と怨嗟を身に纏ったジョセフは冒頭、怒りに任せて愚かな過ちを犯してしまう。ネタバレは避けるが、愛犬家にはお薦めできない作品だ。

 「フローズン・リバー」、「ウィンターズ・ボーン」(ともに米)と本作には共通点がある。背景にあるのは格差と貧困で、ジョセフは失業手当で暮らしながら、酒と賭けに溺れている。学生の街として知られるリーズだが、鈍色でくすんだ感じがする。ジョセフはきっと、プレミア転落後も停滞しているリーズ・ユナイテッドに賭けて大損しているに相違ない。

 とことんデスパレートしていくかと思いきや、〝ボーイ・ミーツ・ガール〟ならぬ、くたびれたオッサンとオバチャンが出会う。ジョセフは駆け込んだチャリティーショップで出会った店長のハンナ(オリヴィア・ゴールドマン)に、荒んだ心を癒やされるようになる。

 失意に沈んだ男に手を差し伸べる母性に溢れた慎ましい女性とくれば、カウリスマキの世界を思い出す。だが、「敗者の三部作」に登場する気弱な男たちと比べ、ジョセフは野性的だ。ハンナは果たして、ジョセフを飼い慣らせるだろうか……。そんな疑問が生じた時、ハンナの傷口から血がドボドボ流れ始める。二人の立ち位置が変わったのだ。

 「思秋期」は<人生の半ばを過ぎ、過去を振り返る時期>という意味で用いられている。まさに、ジョセフとハンナの現在に当てはまる。俺は妻を真剣に愛しただろうか……。亡くなった妻を思い、自問自答するジョセフは、ハンナの側に踏み込めないでいる。

 一方のハンナは、結婚という牢獄で心身とも酷い仕打ちに耐える日々を過ごしている。キリストを信じ、ジョセフにも、そして死の床に伏すジョセフの友人にも神の恩寵を説くハンナに、神は優しくない。店の棚に置かれたキリストの絵に、ハンナが物を投げつけるシーンが印象的だ。夫ジェームズ(エディ・マーサン)は外面の良さで評判のいい成功者だが、悪魔の素顔をハンナにだけに曝すサディストだった。

 暴力に怯えるのはハンナだけではない。ジョセフの数少ない話し相手であるサム少年もまた、義父のDVに苦しんでいる。ラストに向けて急アクセルが踏まれ、ストーリーは一気に加速する。ハンナとジョセフは法的な<罪と罰>を超え、再生の道を手繰り寄せた。情熱に身を任せる「思春期」は遥か彼方で、俺もまた、ソフトランディングと共生を目指す「思秋期」もしくは「思冬期」を彷徨っている。「思秋期」は挫折をたっぷり味わった中高年層が共感する〝R40〟ムービーといえるだろう。

 ラストに射す一条の光に心が和み、帰宅してHPで原題を調べると、“Tyrannosaur”……。ジョセフが小さなことにこだわらない妻を「ティラノサウルス」と呼んでいたことから付けられたのだろうが、登場人物もまさにタイトルそのものだ。ジェームズは醜く獰猛、ジョセフとハンナは愛に渇き愛に狂う孤独な恐竜なのだから……。

 別稿で記した「忌中」(車谷長吉)、今稿の「思秋期」、そして読み始めたばかりの「母の遺産~新聞小説」(水村美苗)と、死、再生、老いを見つめる作品に触れている。俺の中で何かが兆しているようだ。
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