酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「希望の国」~エンドマークの彼方に光は射すか?

2012-10-22 22:36:55 | 映画、ドラマ
 封切り日(20日)、新宿で「希望の国」(12年)を見た。過激で過剰な映画を撮り続ける園子温監督の最新作である。「冷たい熱帯魚」(11年)、「恋の罪」(同)、「ヒミズ」(12年)、そして「希望の国」とこの2年、スクリーンで接する4作目の子温ワールドだ。「ヒミズ」は3・11を受けシナリオを大幅に書き換えたが、「希望の国」は原発そのものをテーマに据えている。

 本作は欧州全域でも公開される。合成写真を作成して「フクシマの影響」と川島を揶揄したローラン・キュリエもぜひ観賞し、感想を番組内で語ってほしい。<原発を国是とする自由の国フランス>という矛盾の一端が、川島の件で垣間見えた。

 「週刊金曜日」最新号は<原発報道の正体>と題し、反原発側が置かれる厳しい状況を特集していた。その一環として、園のインタビューも掲載されている。本作は資金集めに難儀したが、英国と台湾の製作会社が援助の手を差し伸べた。「なぜ原発の映画を撮ったのか」と問う国内メディアに閉口した園は、「目の前で原発が爆発したんだから、(他の監督が)撮らない方が変」と怒りをぶちまけていた。

 封切り直後でもあり、感想と背景を中心に記したい。本作の舞台は、福島の記憶が風化した数年後の長島県だ。大地震が起き、倒壊した原発から20㌔の地点で黄色のテープが貼られる。小野家は避難を免れたが、隣の鈴木家はバスで小学校に送られた。

 本作はロケ地でもある気仙沼で先行上映された。帰省時にその模様をテレビで見たが、「タイトルと内容がマッチしていない」、「ラストが悲しすぎる」と感想を述べる観客もいた。逆説もしくはアイロニー、それとも滅びの美学?……。俺もまだ、園の意図を理解出来ていない。

 「希望の国」に重なったのは「誰も知らない」(是枝裕和、04年)だ。ともに喪失、寂寥、絶望が色濃く、見終えた後も、残像と続編が心のスクリーンに映し出される稀有な作品だ。<この〝現実〟を目の当たりにした以上、あなたも変わらざるを得ない>……。園は見た者が自分なりの答えを見つけることを願っているに違いない。

 大上段に振りかざすのではなく、本作は家族の視点から、原発と国家の在り様を問いかけている。酪農を営む小野家は父泰彦(夏八木勲)、母智恵子(大谷直子)、長男洋一(村上淳)とその妻いずみ(神楽坂恵)の4人から成る。智恵子は認知症で、10分後には自分の言葉も忘れている。園の<繰り返しの美学>は本作でも貫かれ、智恵子の口癖「帰ろうよ」が主音になっていた。泰彦の「杭はいつでも、どこにでも打たれる」の台詞も心に響いた。

 園監督作には暴走キャラが往々にして登場するが、本作は抑え気味だ。放射能の恐怖を説く泰彦も、「生きものの記録」(黒澤明、55年)の喜一よりはるかに理性的だ。妊娠を知って防護服を纏ういずみも、「KOTOKO」(塚本晋也、11年)の琴子ほど壊れていない。いずみの言動は世間に嘲笑されるが、チェルノブイリのその後を狭い日本に敷衍すれば、見える景色も変わってくる。沈黙と無為は形を変えた狂気の表現で、いずみの対応こそ正常の証しというように……。

 園は被災地を舞台に至上の愛を描いていた。盆踊りの思い出に誘われ立ち入り禁止地域を童女のように彷徨う智恵子、雪の中で彼女を見つけおんぶする泰彦……。分かち難い愛に結ばれた老夫婦にとり、ラストは救いと思えてくる。ミツル(清水優)とヨーコ(梶原ひかり)が瓦解した海辺を歩くシーンも印象的だ。神々しいほど美しい廃墟に、タルコフスキーや晩年の黒澤の映像が甦った。

 「希望の国」には国への批判、反原発への思いが込められていたが、<家族と愛を描いた映画>としても記憶に残る作品だ。エンドマークの彼方、洋一といずみが、そしてわたしやあなたが、光を見いだす日は来るのだろうか。
コメント (2)
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