弁理士の日々

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長谷川幸洋「日本国の正体」

2010-01-05 21:14:42 | 歴史・社会
日本の報道における記者クラブ制度の問題点については、1年ほど前、上杉隆「ジャーナリズム崩壊」で紹介しました。上杉隆氏は、日本の記者クラブに属さないニューヨークタイムズの記者としての体験から、記者クラブの問題点を指摘しました。ただし、記者クラブを外側から見た状況の説明でしたので、記者クラブの実体について今ひとつよくわからないところがありました。ぜひとも記者クラブを内側から見た著書を読みたいと思っていたわけです。

月刊Voice1月号で第18回山本七平賞の発表がありました。今回の受賞作は長谷川幸洋氏の「日本国の正体」ということです。選考委員の評価を読むと、記者の立場から報道の実態を描いた書籍であり、私の要望に応えた書物であるようです。
しかし、2009年6月出版というのに、私はこの本のことを今まで全く知りませんでした。
日本国の正体 政治家・官僚・メディア――本当の権力者は誰か
長谷川 幸洋
講談社

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著者の長谷川氏は、中部新聞社に勤務し、現在は論説委員を務めています。政府の各種委員会にも委員として参画してきました。

上杉隆氏の「ジャーナリズム崩壊」を既に読んでおり、高橋洋一氏の論で官僚の実態を聞いており、また民主党連立政権で「脱官僚依存」が声高に叫ばれた後ということもあり、長谷川氏の上記著書からはさほどの新鮮さは感じられませんでした。政権交代が起きる前に読んでいたらまた別の感慨が生まれたかも知れませんが。
しかし、最初にこの本を読むのであれば、日本のジャーナリズムの内実と官僚との関係を丁寧に記述しているので、得るところは大であろうと思います。

2章と3章では、政治権力の実体を官僚が握っていることについて、長谷川氏の経験に即して語られます。そして4章で、日本のジャーナリズムと官僚権力とがどのような関係にあるのかについて述べています。ここでは、4章の内容について記しておきます。

どうも長谷川氏によると、日本のジャーナリストの相当の部分は、官僚が実は国政の実質を握っていること、そして自分たちがその官僚の代弁者になってしまっていることに気付いていない、ということのようです。もしそうとしたら驚くべきことですが。
「国政を動かしているのは政治であり、官僚は政治の黒子にすぎない。官僚は中立であり、その官僚が発する情報を忠実に報道していれば中立の報道がなされる」という認識が、ジャーナリストの間にあるというのです。

大新聞をはじめとする日本のジャーナリズムは、「他紙よりも一刻も早く報道すること」を至上命題としています。そして、取材源を官僚に依存する記者は、官僚から特ダネ情報を他紙記者よりも早く受け取ることにより、特ダネをモノにします。実は情報を提供した官僚は、その報道によって自分の推し進める政策を後押しさせたいのであって、官僚自身の代弁者として好適な記者に特ダネ情報を漏らしているのです。このとき記者は役人から、政策を記したペーパー(紙)を併せて受け取ります。
官僚は、自分たちが推し進める政策を自分たちが思うとおりにうまく報道してくれる記者を選択し、情報を渡します。従って、官僚の政策を批判的に記事にする記者は情報が流れません。記者のうち、官僚から紙をもらえる記者は10人中1、2名しかいないということです。特ダネ記者になりたくて官僚に取り入っていくうちに、知らず知らず、記者は官僚の代弁者=ポチに成り下がっていきます。
記者は、「自分が官僚から信頼された結果として情報をもらえるのだ」と思い込んでいるそうで、「自分は官僚の代弁者に成り下がっている」とは気付かないのだそうです。

以上の議論において、「記者クラブ」は登場しません。つまり、記者クラブがあろうがなかろうが、日本の新聞記者は官僚の代弁者となってしまっているのです。この点については、今回の長谷川氏の著書で理解した事項でした。
逆にいうと、記者クラブを廃止しただけでは、記者が官僚の代弁者となっている現状を打破することはできない、ということです。

なぜ日本の新聞報道はそんなことになってしまったのか。以下の3点が挙げられます。
(1) 日本の新聞は、「他紙よりも一刻も早く報道すること」を至上命令とする。
(2) 情報を持っているのは官僚であり、官僚と記者との間に圧倒的な情報格差が存在する。
(3) 記者は「官僚は、自分たち記者と同様に中立の立場」と思い込んでいるところがある。

上記(3) の認識はさすがに今では薄れていることでしょう。
しかし(2) は厳然として存在し、(1) のスタンスを取る限り、記者は官僚に取り入ることから逃れられません。

長谷川氏は今後の方策として、「速報性については通信社に任せるようにし、新聞は速報性を追わず、真相追求に精力をかけるべきである」としています。
ところでこのスタンスは、上杉隆氏が「ジャーナリズム崩壊」で描いたニューヨークタイムズの報道スタンスと一致します。上杉氏がニューヨークタイムズの記者になった当初、事件発生と同時に現場に急行しようとしますが、上司から止められます。速報は通信社に任せ、その通信社の配信を掲載すればよい。ニューヨークタイムズの記者は速報ではなく、事件の深層を探ることに尽力すべきだ、といわれたのです。

つまり、日本の新聞が本来のジャーナリズムとしての力を発揮するためには、日本以外の各国のジャーナリズムの真似をすればいいのだ、というきわめて安直な解答が得られるのでした。
コメント (1)
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