弁理士の日々

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堀栄三氏が遺してくれたもの

2008-06-19 21:22:25 | 歴史・社会
堀栄三氏は、1913年生まれ、旧日本陸軍軍人と自衛隊員を務めた人です。
太平洋戦争開戦時には大尉で陸軍大学校に学んでおり、1942年12月に陸大を卒業して1年ほどした後、大本営参謀に発令されます。大本営第二部(情報部)です。堀氏は、参謀も初めてなら情報担当も初めてです。
情報部内でドイツ課からソ連課に移り、さらに短期間で米英課に替えられます。

時は1943年(昭和18年)11月です。既に対米英全面戦争を日本主導で開始して2年近くも経過しているのに、一番大切な米英情報の収集を担当する米英課はこのとき誕生してまだ半年です。
その米英課は参謀が7名、総勢40名しかいません。そこで堀氏は、米国の戦法の研究を命じられます。自分で戦争を始めておきながら、そのあとに相手の戦法を研究しようというのですから、日本陸軍の泥縄ぶりがよく現れています。

それから1945年7月の終戦まで、堀氏は大本営の情報部、その後、フィリピンの山下兵団の情報参謀、そしてまた大本営の情報部に戻り、一貫して日本陸軍の情報を担当し、第二次大戦中における日本陸軍の情報がどのような状況にあったのか、渦中にあってつぶさに体験します。

戦後の1945年秋、堀氏は山下兵団での経験について400枚ほどの原稿を書いたことがありましたが、養父(元陸軍中将)から「負けた戦さを得意になって書いて銭を貰うな!」と叱られ、それからは一切口をつぐみました。
しかし敗戦から41年後、台湾沖航空戦の戦果に関する堀氏の役割が雑誌で話題になり、保坂正康氏が堀氏を説得し、とうとう堀氏は以下の書を執筆します。
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)
堀 栄三
文藝春秋

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堀氏が実際に見聞した、太平洋戦争の対米戦における日本陸軍の情報戦の実態について、飾らずに真実を後世に残そうというスタンスで書かれているようです。

堀氏がこの本を出版してくれたおかげで、第二次大戦中の日本軍が情報戦をどのように戦ったのか、非常に克明に明かされました。この本が出されなかったら、多くの事実が闇に葬られたままで終わったでしょう。
よくぞこの本を出してくれたものとありがたく思います。


現在このブログでは、金賢姫拘束の真相(5)において、当事者の矢原純一さんが実際に起こったいきさつをお話しくださっています。ここでも、大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫らが、どのようにして浮かび上がり、彼らに到達し、拘束に至ったのか、その一端が事実として定着されつつあると実感しています。
過去に起こった大事な事象について、実際には何が起こっていたのかを明確にし、記録に留めること、これはとても大切なことだと思います。
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