弁理士の日々

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私の履歴書-米沢富美子さん

2012-06-06 22:19:17 | 歴史・社会
日本経済新聞の私の履歴書は、現在、物理学者の米沢富美子さんです。
米沢さんについては、このブログで2回、話題にしました。人物で語る物理入門(上・下)二人で紡いだ物語です。
米沢富美子さんは、1938年生まれの物理学者です。「二人で紡いだ物語 (中公文庫)」(私は朝日文庫で読みましたが)は、米沢さんが結婚した直後から2000年当時に至るまでを綴った自伝です。この本もとびきりおもしろい本でした。

私の履歴書は6月6日で第6回まで進みました。米沢さんの幼少から少女時代までの概略は以下の通りです。
1938年 生まれ
1941年 父親が応召し、南方戦線へ
1946年 祖父が57歳で病死し、その直後に父親の戦死公報

第2回 応召した父の部隊に家族で面会に行ったとき「面会の際の断片的なシーンが、私の一番古い記憶である。当時2歳10ヶ月。とくに父のあぐらの上で魚の身をほぐしてもらって食べたことは、胸の痛む思い出である。」

第3回 5歳の幼稚園児の時 母親が何気なく「三角形の内角の和は2直角」と口ずさみながら証明法を図解したところ、5歳の米沢さんは母親の言葉を全部理解してしまったのです。米沢さんが「こんなに面白いものが世の中にあるのか!」と雷に打たれたような衝撃で身体が震えましたが、母親の身体にも電気が走ったといいます。
米沢さんにとって雷に打たれるような経験とは、その後2回、「不規則系の方法論」を編み出したときと、「金属-非金属転移の新機構」を発見したときだそうです。

第4回 戦争は終わりましたが、57歳の祖父が病死し、父親が戦死したことで、女所帯の一家は大変な苦労をしました。米沢さんは懸命に生きる母の姿を見て「長女の自分も役に立たなくては」と7歳の分際で考えました。それから1年は、母と一緒に食糧の買い出しに行き、父の登山リュックでさつま芋を運びました。
『この1年を振り返ると、世の中に怖いものはもうないと思う。私が「長女」から「子供」に戻れたのは、その翌年くらいである。』

第5回 米沢さんは幼稚園の頃から「あの空の果てはどうなってるの」「宇宙は無限の昔からあるの」「ねえ、無限に低い温度はあるの」などの質問で大人を辟易させていました。一方で、男の子たちとほとんど一日中遊び回ってもいました。
小学校5年生の時、知能テストでIQが175で大阪府で一番になりました。
『知能テストの問題には数字や図形や迷路があった。私は母の内職の封筒を数えていたから、数字は得意だった。図形についても、母の薫陶のおかげで、いつも幾何の図形と遊んでいたからお手の物。迷路も似たようなものだ。そもそも迷路の問題は、出口から眺めれば答は一目瞭然だった。』

毎回毎回、読むのを楽しみにしています。
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8 コメント

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Unknown (suehirom)
2012-06-09 02:31:16
私にとって、米沢富美子さんと云えば、「アモルファス金属」にすぐつながってしまいます。 
学生時代に当時の研究室の教授が、「これでも読め。」と渡されたのが「アモルファスな話」という本です。 当時の私のテーマとはかけ離れた本ですが、単純に徳面白く読んだままでした。 あの時教授は私に何を伝えたかったのか。まだわかりません。 今その教授は私の自宅から4kmのところに住んでおられます。 
も80を過ぎ、教壇からは離れられていますが、時折Co-Generationの分野では企業とかを回っておられ、自宅で工作機械を使いながら、排熱利用の研究に取り組まれています。 
あの世代の方々は私たちの考えの及ばない立ち位置におられます。 
まだまだ努力せよとのことでしょうか? あの世代のパワフルさと真摯さをもう少し学ばねばと、今感じています。
米沢富美子さん (snaito)
2012-06-09 10:02:22
suehiromさん、コメントありがとうございます。
suehiromさんは学生の頃から米沢富美子さんをご存じだったのですね。私はうかつにも、6年前に「人物で語る物理入門」と「二人で紡いだ物語」を偶然に手に取るまで存じ上げませんでした。
こんな凄い日本人がいらっしゃるのに、なぜ有名になっていないのか。私だけが知らなかったのかもしれませんが。
私の履歴書の第1回によると、米沢さんは6年前から94歳のお母様の遠距離介護をされています。「今は介護と研究の両立が課題である」と書かれているので、73歳でまだ研究に従事されているということです。私も見習いたいと思います。
Unknown (toru)
2012-06-23 08:44:39
日経は30年来の読者、「私の履歴書」も欠かさず読んでいます。
世界的大企業社長のつまらない自己肯定的自慢話などが多い中、久しぶり実に痛快な連載、毎日引き込まれるように読んでいます。
文中にも出てきた猿橋勝子さんにしてもそうですが前向きでフロンティアスピリット溢れる女性にはたまらなく惹かれます。
「頭がいい」だけではない、底知れぬ「人間力」を感じます。
米沢富美子さん (snaito)
2012-06-23 09:57:45
toruさん、コメントありがとうございます。
私も、今回の私の履歴書は、初回から全部記事を保管しています。
私が「二人で紡いだ物語」(結婚以降の自伝)を読んだのが2006年。最近調べたら、2009年に「まず歩きだそう」(生まれたときからの自伝)を出版されていたのですね。こちらもたまらず購入して読んでしまいました。
今回の私の履歴書は、「まず歩きだそう」を底本として、日経のライターがさらにおもしろいエピソードを掘り出して記事にしていると感じました。
「私の履歴書」は、毎回おもしろいと思いながら読むものの、すぐに忘却の彼方に遠ざかっていきます。それが、購入して手元に置く書籍と異なる新聞記事の弱点です。しかし今回の米沢富美子さんのシリーズは、記憶に残るものになりそうです。
泣けました (ぶたくみ)
2012-06-27 08:19:42
昨日(25日)の私の履歴書、泣けました。がむしゃらに生きてきたからこそ、最後に神様が奇跡を起こさせてくれたんだなと思いました。
がんを何回も経験しそれを乗り越え一生懸命生きている姿に感動です。
日本語は正しく (KNOWN)
2012-06-27 21:47:15
連載10回目、「物理学への分属試験では断トツ
のトップ当選だったらしい。」って。これだけ
の高名な学者が「断トツのトップ」って何なん
ですかね。もっとまともな日本語を使って頂き
たいものです。
断トツのトップ (snaito)
2012-06-28 18:23:12
ぶたくみさん、KNOWNさん、コメントありがとうございます。

省略せずに記述すると「物理学科への分属試験では断然トップのトップ当選だったらしい」ですね。
「私の履歴書」の執筆は日経の記者が本人にヒアリングしながらやっているでしょうから、記者の記事を本人がチェックするときに漏れたのでしょうね。
なお、米沢さんが書いた「まず歩きだそう」で確認しましたが、「結果的に私は、分属試験を一番でパスした」としか記述されていませんでした。
日本語は正しく、続き (KNOWN)
2012-06-28 23:39:59
そうでしたか。日経の文章もここまで酷いんで
すね。知らなければ、折角の連載が興ざめする
ところでした。日本語の手本であってほしい全
国紙がこのレベル。今に始まったことではなく、いくら教えてやっても聞く耳持ちません。米沢
さんこそ怒るべきです。
物理学科を物理学としたのは私の転記ミスでした。

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