弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

朝日新聞・板橋洋佳記者

2010-10-24 00:09:37 | 歴史・社会
大阪地検特捜部のFD改竄事件については、朝日新聞社のスクープでした。朝日新聞社独自の調査報道で、この調査報道がなければFD改竄は闇に葬られていた可能性すら在ります。
この報道の裏に、元下野新聞に所属していた現朝日新聞記者が活躍していたという話を読んだことがあります。

その本人である板橋洋佳記者が、10月15日の朝日新聞に記事を載せていました。

1999年に栃木県の地方紙・下野新聞に入社、2007年に朝日新聞に移った人です。
板橋記者は朝日新聞大阪本社の検察担当で、今回の調査の端緒は、今年6月、郵便不正事件の実行犯である上村元係長の公判でした。上村被告が「一人でやりました。村木さんとの共謀はありません」と証言したときです。板橋記者は「供述調書と公判証言のどっちが本当なんだ?」と感じ、どんな捜査だったのか検証しようとして取材を本格化させました。

『一連の問題の端緒となる話を検察関係者から聞いたのは、7月のある夜だった。
上村元係長の自宅から押収されたフロッピーディスク(FD)のデータを、捜査の主任である前田恒彦検事(当時、11日付けで懲戒免職)が改ざんし、偽の証明書の最終更新日時を捜査の見立てに合うように変えた-。疑惑は検察内の一部で今年1月に把握されたが、公表が抑えられていた疑いもあった。』
『「立場が違っても『不正の構造』を暴く到達点は同じ」と意気投合した検事たちがいる。記事にすれば、彼らを追い込むことにならないか。検察組織の反発も予想した。』

『取材で得た証言を検察側にぶつけても、証拠がなければ否定される可能性もある。司法担当キャップの村上英樹記者と話し合い、FDの入手を最優先とし、改ざんの痕跡を見つけるため専門機関に鑑定を依頼する方向で動くことにした。』

FDが上村元係長の弁護人の元に返却されていることを突き止め、8月に事務所を訪ねます。弁護士は「検察担当のあなたが検察批判の記事を書けるのか」と問いました。
弁護士の信頼を得るのに数週間かかりました。元係長の承諾も得た上で弁護人と一緒にFDをパソコンで開くと、最終更新日は6月8日になっていました。
9月10日に村木さんに無罪判決が出されましたが、取材は続けました。
鑑定依頼のために大手セキュリティー会社を訪れたのは15日。数日後には担当者から結果の連絡が入りました。FD改竄の全貌が明らかになったのです。

『改ざんの当事者と見られた前田検事への取材は慎重さが求められた。まず検察幹部に伝え、内部調査に踏み切るかどうかを探った。幹部は天を仰ぎ、「想像を絶する事態だが、前田検事から話を聞くことになるだろう」と語った。』
9月20日に大阪地検は前田検事への聞き取りを極秘裏に始めます。前田検事は「意図的ではなかった」としましたがFDデータ書き換えを認めました。そして翌21日、朝日新聞朝刊1面にスクープ記事が掲載されることになるのです。最高検はその日のうちに、前田検事を証拠隠滅の疑いで逮捕しました。

『埋もれた話を聞き出し、証言を裏付ける取材を徹底的にしたことが記事につながった。自分が感じた疑問を出発点に、日常の取材から一歩踏み出す。それが記者としての基本動作であることを、あらためて実感している。』


今回の調査報道の勝利は、まず第1に板橋記者が捜査について疑問を感じたことです。そして検事に取材を続けるうちに検事との信頼関係ができ、7月に検事から改ざんの真実が告げられました。ここが今回最大のポイントだったでしょう。
次にFDの所在を突き止め、上村元係長の弁護人と信頼関係を構築できたことです。
ここまで来れば、事件の全容は明らかになりました。
しかし、板橋記者が“検察担当”ということで検察に遠慮し、検察に迎合すれば、今回の判明結果を闇に葬ることもあり得たし、たとえ検察に通報するにしても何らかの裏取引を行い、結局は闇に葬ることもあり得たでしょう。
そのようなことをせず、今回記事にしたわけです。板橋記者のこの行為は記者として当たり前のことなのか、それとも板橋記者でなければできなかったことなのか、その点はよくわかりません。

p.s. 11/1 板橋記者の人となりを示す記事を見つけました。
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