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湯之上隆著「半導体有事」

2023-06-04 18:55:22 | 歴史・社会
湯之上隆著「半導体有事」

湯之上隆さんによる半導体関連の論評は、いつも示唆に富んだものであり、例えば湯之上隆著「日本型モノづくりの敗北」 2013-12-04などのブログ記事に記録してきました。
今回、久しぶり(10年ぶりですか)に、湯之上さんの上記書籍を購読しました。その内容をここに記しておきたいと思います。

《第1章 米国による対中規制と「台湾有事」》
2020年5月14日は、TSMCが中国ではなく、米国側についた日として歴史に刻まれることになった。TSMCが米アリゾナに進出すること、中国ファーウェイに対して半導体輸出を停止することを決定した。
ファーウェイは、スマホと5G通信基地局に関するビジネスが壊滅的な状態になった。

2022年8月9日、米国でCHIPS法が成立した。米国の半導体製造や研究開発への527億ドルの補助金が盛り込まれている。サムスンもテキサスに工場を建設する。
この法律の「ガードレール」では、「補助金を受ける企業はその後10年間、中国の最先端のチップ製造施設に投資・拡張することを禁じている」のである。中国に工場を有する韓国メーカーは、米国の補助金を受ける見返りとして、中国から撤退することも検討せざるを得ない。

2022年10月7日に米国が発表した「10・7」規制
これは、中国半導体産業を完全に封じ込めるための措置であり、半導体の歴史を大きく転換するだろう。
① 中国のスパコンやAIに使われる高性能半導体の輸出を禁止する。
② 先端半導体について、米国製の半導体製造装置の輸出を禁止し、エンジニアとして米国人が関わることを禁止する。
③ 半導体成膜装置のうち、規制に該当する装置を輸出する場合、米政府の許可を得なくてはならない。中国半導体にとっては致命傷となる規制である。
④ 中国の半導体製造装置メーカー向けには米国製の部品や材料等を輸出することを禁止する。
⑤ 中国にある外資系半導体メーカー(TSMCなど)にも規制を適用する。

この「10・7」規制により、中国は工場の新増設が困難になる。またエンジニアが派遣されないので既設半導体工場が停止する。
このような厳しい「10・7」規制に反発して、中国が米国に対して、何らかの報復措置を執る可能性がある。その最悪のケースが、中国が台湾に軍事侵攻してTSMCを占領する、いわゆる「台湾有事」の勃発である。

《第2章 半導体とは何か》
半導体は、設計、前工程、後工程の3段階でつくられる。
ロジック半導体においては、ファブレスと呼ばれる設計専門の半導体メーカーが、つくりたい製品に合わせて半導体を設計する。
前工程を専門に行っている半導体メーカーをファウンドリーと呼ぶ。
後工程を専門に行う半導体メーカーをアセンブリーメーカー、またはSOCと呼ぶ。

半導体の微細化の閉塞感を打破したのは、波長13.5nmの極端紫外線(EUV)を使った露光装置である。オランダのASMLがEUV(1台200億円)の量産機を出荷し、TSMCは1年間に百万回の露光の練習を行った末に、2019年に7nm+というロジック半導体の量産に成功した。
インテルは、2023年に7nm+クラスが立ち上がっていない状況である。
中国のSMICは、2022年に、EUVを使わずに7nmの開発に成功した。これが、米国の「10・7」規制の直接理由である。

《第3章 半導体の微細化を独走するTSMC》
TSMC創業者のモリス・チャンは、1931年、中国に生まれ、香港で育った。ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学に学び、1958年、テキサス・インスツルメント(TI)に入社した。IBMの大型コンピュータ用のトランジスタを下請けで生産するに際し、モリス・チャンは試行錯誤を繰り返し、見事に良品トランジスタの生産に成功する。
1985年、54歳の時、台湾当局からの要請で台湾に渡る。モリス・チャンの考えは、生産だけを請け負うファウンドリーに収束していく。
しかしこの構想には反対意見が続出した。逆風の中でモリス・チャンは1987年にTSMCを創設した。しかし数年間はほとんど売り上げがなかった。
ところが1990年代初頭、シリコンバレーでは設計を専門に行う半導体メーカー(ファブレス)が誕生し始めていた。ファウンドリーのTSMCとファブレスの二つの要素が相乗効果を生み出し、歴史が動き始める。
TSMCは、世界中のファブレスが設計しやすい世界標準の仕組みを構築した。一方日本の垂直統合型では、各社が独自の設計ツールを開発し、独自の設計、方法でプロセス開発を行っていた。
TSMCにSOCを生産委託するファブレスは、ほとんどリスクなく、半導体を生産してもらうことができるようになった。
TSMCは、7nm以降の先端半導体の世界シェアで90%以上を独占している一方、1990年頃に立ち上げた0.25μm以上の超レガシーな半導体を生産し続けている。
アップルは、TSMCの売上高の25%を超える最大のカスタマーである。TSMCは、毎年のアップルからの微細化の要求に応えるため、必至に微細化に邁進しているといえる。

《第4章 クルマ用の半導体不足はいつまで続くか》
2020年2月以降、クルマが減産となった。各完成車メーカーは、デンソーなどの1次下請け、ルネサスなどの2次下請けの順で、車載半導体の注文をキャンセルし続けた。ルネサスなどの車載半導体メーカーは、28nm以降のロジック半導体とMCU(マイコン)のすべてを、3次下請けとなるTSMCなどのファウンドリーに生産委託していた。TSMCも、車載半導体を、キャンセルされ続けた。
TSMCには、28nmのロジック半導体の生産委託が殺到していた。そのため、車載半導体のキャンセルで空いた穴は、すぐに別の半導体で埋まってしまった。
クルマの生産は2020年9月には回復し、再び28nmのロジック半導体等を注文しようとしたが、TSMCにはそれに応じる余裕はなかった。
このようにしてみると、このときの車載半導体不足はジャスト・イン・タイムの生産方式が招いたものであり、一言でいえば、クルマメーカーの自業自得である。
2021年3四半期以降、28nm車載半導体の不足は解消されていった。

2021年3四半期以降にも依然として車載半導体の不足が続いている。その半導体は、パワー半導体やアナログ半導体である。これらはレガシーな半導体であり、ルネサスなどが自社で生産している。
レガシーな半導体は、12インチではなく、8インチの半導体工場で作られる。しかし大手の半導体装置メーカーは8インチ用の製造装置を作りたがらないので、8インチの半導体工場を新増設することが極めて困難になっている。

CASEに必要な5G通信用半導体、AI半導体にはTSMCの最先端プロセスが不可欠である。しかしそのプロセスはアップルが独占しており、このキャパシティをクルマメーカーが押さえるのは相当に難しい。これに対して、テスラの優位性を示すニュースがあった。テスラが完全自動運転車用に、TSMCの最先端プロセス5/4nmで生産する(おそらくAI用の)半導体を大量に発注した。テスラは完全自動運転車用のAI半導体を自社設計しており、それををTSMCの最先端プロセスで大量生産させることに成功したと思われる。もはや、CASEの時代にテスラに敵う相手はいないかもしれない。

《第5章 世界半導体製造能力構築競争》
2021年初頭に起きた半導体不足は、世界に大きなインパクトを与えた。半導体メーカーが常軌を逸した設備投資を発表し、各国・各地域が桁外れの額にのぼる補助金を投入し始めたのである。2021年だけで、少なくとも12兆円が投資され、29工場の建設が着工された。
著者には、このような半導体メーカー各社や各国・各地域が、ハーメルンの笛吹きに踊らされているネズミのように思えてならない。

《第6章 日本の半導体産業はまた失敗を繰り返すのか》
各種電子機器や電機製品には28nmの半導体が搭載されており、世界的に28nmが足りない状態を招いた。日本から補助金を提案され、TSMCは渡りに船で日本進出を決定した。しかし、28nmはプレーナ型トランジスタの最終世代であり、16/14nmに使われている3次元トランジスタFinFETの技術は永遠に手に入らない、と著者が批判していたところ、合弁会社にデンソーが加わり、16/12nmの生産も行うことが発表された。ただし、レベル4,5の完全自動運転には、より高度なAI半導体が必要であり、最先端の5~3nmで製造する必要がある。TSMC熊本では製造できない。
28nmのロジック半導体の不足は、2021年前半で解消されてしまった。TSMC熊本工場はつくる半導体がなくて閑古鳥が鳴くかもしれない。

半導体新会社ラピダスは「ミッション・インポッシブル」
(湯之上氏のこのご意見は、私も「そうであろう」と思っているところです。)
ラピダスの出資会社の中には、ロジック半導体の設計、開発、量産ができる半導体メーカーは存在しない。
前工程のプロセス技術には3段階がある。要素技術者、インテグレーション技術者、生産技術者がそれぞれ必要になる。技術提携先のIBMには要素技術者とインテグレーション技術者がいるだろうが、ラピダスがIBMの技術を受け取り、そのプロセスを改良して試作ラインで流せるようにするためには、やはり数百人の技術者が必要である。さらに、IBMには量産工場がないので、ラピダスは1000人規模の生産技術者を準備しなければならない。
ラピダスは、「2027年までに2nmのロジック半導体を量産する」と発表している。しかし、ラピダスは「2nmをどこからも生産委託されていない」と思われる。ファウンドリーというビジネスの本質を理解していないといわざるを得ない。

《第7章 日本の強み 装置と材料は大丈夫か》
日本の半導体装置メーカー、半導体材料メーカーは、世界の中で大きなシェアを有している会社が多い。しかし、最近の統計では、そのシェアが低下し始めている。
最大の問題は、「日本の装置産業は強い」という思い込みである。
--以上、著書のポイント---------------

湯之上隆さんの論評は、ご自身の専門知識と取材に基づいた内容であり、いつもながら「なるほど」と読むことができました。
しかし、日々接している新聞やネットの情報では、湯之上さんのご意見に触発されての方向付けは全く感じることができません。残念なことです。
湯之上さんの『「10・7」規制は中国半導体に対する死刑宣告だ』、『これを引き金として、中国による台湾武力侵攻も起こりうる』とのご意見についても、賛否いずれも議論が巻き起こっているように思えません。
TSMCがファウンドリーという事業形態を創り出したいきさつもよくわかりました。「TSMCのみがなぜ、EUVによる微細加工に成功したのか」については、「百万回の練習をしたから」との点のみが明らかです。上記記事には取り上げませんでしたが、「なぜインテルが出遅れたか」という点についてはおもしろい指摘がありました。

上記記事の中で、テスラとTSMCの結び付きの話が注目されます。
日本のクルマメーカーは、半導体の設計は自社では行わず、1次下請けを通じて2次下請けのルネサスなどのロジック半導体メーカーに作らせています。そのルネサスは、28nm以下についてはファブレスであり、ルネサスは設計のみを行い、TSMCに製造委託しています。これに対してテスラは、自社で先端半導体の設計を行っており(ファブレス)、TSMCをファウンドリーとして用いる強力な提携を行っているようです。「テスラ恐るべし」と感じました。

ホンダ、世界最大の半導体ファウンドリTSMCと戦略的協業 三部社長は、「新しいつながりとして自動車会社と半導体メーカーができた」 Car Watch 2023年4月27日
という記事がありました。
TSMCはファウンドリーであり、半導体メーカー(ファブレス)が設計した半導体の生産委託を受ける会社です。ホンダとTSMCの提携では、ホンダのクルマが必要とする半導体を、だれが設計するのかが明確ではありません。ホンダが必要とする半導体を自社で設計するとも思えません。発表したホンダの社長も、その点をよく理解していないのではないか、との印象を受けました。

p.s. 6/5
現在、日本でロジック半導体を製造している最大のメーカーはルネサスです。ルネサスは、製造技術としては40nmまでしか保有せず、それよりも微細な製品はTSMCなどに生産委託しています。
ラピダスは2nmの最先端ロジックの量産を目指しています。ルネサスが微細化技術を有していないとはいえ、日本最大のロジック半導体メーカーなのですから、「なぜルネサスはラピダスに関与していないのか」はとても興味あります。しかし、湯之上さんはこの点について何らコメントしていません。裏に何かあるのでしょうか。
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