弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

札幌・月寒公園

2023-07-05 21:49:58 | 趣味・読書
私の現在の居住地が札幌市の南東部で、近くを望月寒川(もつきさむかわ)が流れています。望月寒川を南西にたどると、月寒公園に至ります。
先日、月寒公園を訪れました。

下の案内図で、公園の北東端、こどもひろばのあたりから敷地内に入りました

月寒公園案内図

まずは、⑪阿部與之助の威徳を表する碑です(下写真)。
説明書きによると、山形県出身の阿部與之助は、明治5年に30才前後で身一つで北海道に渡り、豊平町(月寒公園の近く?)に住み着き、夫婦力を合わせて働きながら土地を少しずつ買い増し、10年もたたないうちに広大な田畑を所有する地主になりました。
さらに、郷里から農民を誘致して入植させ、稲作を奨励し、用水路建設に多くの私費を投じました。

⑪阿部與之助の威徳を表する碑

歴史の森を歩きます(下写真)。


⑨吉田善太郎功労碑
豊平町開町50年にあたる大正9年に建てられました。
善太郎は父が南部藩の旧士族で、善太郎は明治の初め、10歳で父とともに月寒組開拓団に加わって北海道に移住しました。20歳で父が亡くなり、その後も農業開拓の努力を惜しみません。善太郎の業績として、6kmに対する水田用水路を造り上げました。大正2年の凶作のときは、所有地を抵当に資金を作り、農民を助けました。
⑩開町五十年記念碑
大正2年に建てられました。

⑨吉田善太郎功労碑
⑩開町五十年記念碑


月寒神社

日露戦争で戦死した旧豊平町出身の兵士の霊を慰めるため、大正8年に建てられました。日露戦争では、月寒の第7師団は旅順要塞の攻防戦に参加し、多数の犠牲者を出しました。

⑧忠魂碑

下写真、左下の看板には「キツネは野生動物です。一定の距離を置いて見守りましょう」と記載されています。


月寒開基百年にあたる昭和45年に建てられました。

⑥月寒開基百年之碑




ボート池


坂下野球場

月寒の丘から滑り降りる滑り台です。

滑り台

月寒(つきさむ)の地名は、もともとアイヌ語の「つきさっぷ」に由来します。私が学生の頃、50年ほど前ですが、東京に在住していた私も、札幌のつきさっぷを知っていました。札幌を訪問したときにも、つきさっぷ公園を訪れたような記憶があります。つまり、道外から札幌を訪問する旅行者にとって、「つきさっぷ」は観光スポットだったはずです。
ところが、今回訪問してみたら、月寒公園は、地元の人が利用する公園に過ぎず、札幌の重要な観光スポットにはなっていないようでした。50年前になぜ私が「つきさっぷ」を知っていたのか、今回ネットで調べてみましたが根拠は見いだせませんでした。
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