goo blog サービス終了のお知らせ 

弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

福山城訪問

2025-04-22 14:07:34 | 趣味・読書
4月19日に福山城、新高山城、三原城を訪問し、20日に岡山城を訪問しました。まずは福山城です。

福山城天守閣(南から)

4月18日に大阪で所用を済ませて新幹線で福山まで移動し、その日はリッチモンドホテル福山駅前に宿泊しました。

福山城案内図

福山城は、上の福山城案内図にあるように、①福山駅に隣接して駅の北に位置しています。
①福山駅の北口を出ると、下写真のように、福山城②南面の石垣です。

福山城②南面の石垣

北の方角に天守閣が見えたので、北に向かって移動しました。

③月見櫓(東から)
左には③月見櫓(上写真、下写真)、さらに進むと④鏡櫓(下写真)が見えてきます。

左:③月見櫓  右:④鏡櫓

③月見櫓は、京都伏見城から移建されたと伝わります。明治初めに取り壊されましたが、1996年に天守とともに再現されました。

⑤天守閣(南東から)
石垣に沿って北に向かって歩くと、⑤天守閣が姿を現します(上写真、下写真)。

⑤天守閣(東から)

上の案内図の右下「現在地」から階段を上り、本丸に向います。正面に⑤天守閣がそびえています(下写真)。

⑤天守閣(南から)
福山城の天守閣は、1945年の大空襲で焼失し、1966年に鉄筋コンクリート構造で復興されたものです。

⑤天守閣の中に入り、まずは100名城のスタンプをゲットします。
⑤天守閣の最上階は展望台になっています。東南東の方向に、旧日本鋼管福山製鉄所(現JFE瀬戸内製鉄所)を探しました。遠方はもやがかかってよく見えないのですが、下の写真の方向に製鉄所が見えている模様です。

⑤天守閣から福山製鉄所方向


⑤天守閣(西から)
天守閣見学を終えて天守閣から出ました。⑤天守閣の周りを西から北へと巡ります(上写真、下写真)。

⑤天守閣(北から)
⑤天守閣の東面、南面、西面は白壁ですが、北面のみ、黒壁です。
福山城の北面は、山並みが迫り防備上の弱点となっていました。そこで、砲撃への対策として、北側の壁には厚さ3mm程度の鉄板が壁面全体に張られていました。これは日本全国の天守にも類例がなく福山城天守で最大の特徴となっていました。天守閣の再建時には再現されていませんでしたが、2020年からの築城400年を記念した大改修で復元的整備が実施され、全国唯一とされる天守北側の黒い鉄板張りが復元されました。

福山城本丸の南西端には⑥伏見櫓が建っています(下3枚の写真)。
⑥伏見櫓は、京都伏見城松の丸にあったものを福山城に移建した痕跡が残る貴重な建物で、国の重要文化財に指定されています。

⑥伏見櫓(南西から)
本丸の西の外側を南下すると、⑥伏見櫓が見えてきます(上写真)。⑥伏見櫓を南から回り込みます(下写真)。

⑥伏見櫓(南東から)

⑥伏見櫓に隣接して⑦筋鉄(すじがね)御門があり(下写真)、こちらが福山城の正門になります。柱の角に鉄と扉に数十本の筋鉄をうちつけているためにその名が生まれました。築城当時の姿を今に残す国の重要文化財です。

⑦筋鉄(すじがね)御門


⑥伏見櫓(北東から)
⑦筋鉄(すじがね)御門から本丸に入ると、左に⑥伏見櫓が見え(上写真)、そのとなりに⑧鐘櫓が建っています(下写真)。

⑧鐘櫓
こうして、福山城の本丸界隈を回ることができました。

《福山城来歴》
1619年、徳川家康のいとこである水野勝成が備後10万石の領主として福山の地に入封,福山城を築城しました。廃藩置県まで藩政の中心でした。
天守は,1945年の戦災で焼失し,1966年の市制施行50周年記念事業で再建されました。
伏見櫓と筋鉄御門は,1622年の福山城築城にあたり将軍徳川秀忠から拝領したもので,国重要文化財にもなっています。伏見櫓は,1954年の解体修理のとき,梁に「松ノ丸ノ東やく(ら)」の陰刻が発見され,京都の伏見城から移建したことが明らかになりました。

《水野勝成》
下写真は、⑨水野勝成像です。

⑨水野勝成像
家康が生まれる前、三河国の刈谷に水野氏、岡崎に松平氏が城を構えていました。刈谷の水野氏から岡崎の松平氏に於大の方が輿入れし、生まれたのが家康です。その関係で、刈谷の水野氏を継いだ水野勝成が家康のいとこにあたることとなります。
勝成は、16歳のときに織田信長方で武功を立てますが、21歳のときに父の忠臣を斬り殺して父から勘当されます。36歳のとき、ようやく家康の仲立ちで戻りました。刈谷藩主を相続したあと、家康に従って総大将として活躍しました。
1619年に福山に入封します。それから3年かけて、福山城の築城と、海の埋め立て、町人町などの都市整備を行いました。川の水を引き入れて上水道を作ったり、全国に先駆けて「藩札」を作ったのも勝成です。

瀬戸内料理 八福。
18日夕方に福山の駅に着いたとき、観光案内所でおいしい店についてたずねました。そこで勧められたのが、駅南のさんすて二番街にある八福でした。福山に到着した夜、ホテルに到着したあと、電話で予約し、でかけました。
観光案内所では「福つまみ」を勧められました。その中にある「ちいちいいか」は、小ぶりでもちもちとした食感が特徴的で、天ぷらや酢みそあえの他、煮付けなどにしてもおいしい食材とのことです。そこで、ちいちいいかの酢みそあえを注文しました。そのほか、にぎり(8貫)、かきフライをそれぞれ一品ずつオーダーし、2人でシェアしました。

19日の午前に福山城を訪問した後、新高山城に向かいました。以下次号
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 100名城・続100名城のまとめ... | トップ | 新高山城・三原城訪問 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

趣味・読書」カテゴリの最新記事