大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年11月25日 | 写詩・写歌・写俳

<1428> 冷 た い 雨

        冷え冷えと 降る雨冬の 嫌ひな日

 京都では南座の「まねき上げ」が行なわれ、いよいよ年の瀬かと思わせるが、それに合わせるがごとくに冷え込んで、二十五日の今日は冷たい雨になった。時雨のような通り雨ではなく、本格的な雨であるが、どちらにしても、この時期の雨は何となく侘しいような気分になり、斎藤茂吉の時雨の歌が思い浮んで来る。

                                      

   ゆうされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも

 大正三年(一九一四年)作、「あらたま」に所収されている歌で、時代は百年ほど前。時は随分隔たっているが、今の時代にも通じる時雨の風景で、現代人にもよく理解出来る名歌である。少々ニュアンスを異にはするが、今日のような冷たい雨の日には茂吉のこの大根の葉に降る時雨の歌が思い起こされる。こういう日は鍋物が食いたくなる。では、今一句。  時雨あり 牡蠣雑炊など よろしかろ  写真は雨に濡れる庭の冬野菜。

 


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2015年11月24日 | 写詩・写歌・写俳

<1427> バッタ

       落葉敷く バッタ終末期の 目玉

 落葉を踏みしめながら山道を歩いていると、ときおり足許で跳び動くものに出会う。よく見ると、バッタの仲間のミヤマフキバッタである。この時期の山は低山帯でも朝晩はかなりの冷え込みになる。ときには霜の降りることもある。虫たちには厳しい時期である。

  寒さがもっと厳しくなると、草の茎に掴ったまま命の果てたバッタを見かけることがあるが、山地を生息圏に持つミヤマフキバッタで、このほど出会ったバッタもこのバッタである。全国各地に見られ、木の葉や草を食べる。翅の短いのが特徴で、夏から秋に活動するので、この時期は一生を終える終末期に当たる。

                                                              

  見ていると、今一つ敏捷さを欠き、日差しに温められた岩の上では逃げる気配もなくじっとしていた。カメラを近づけると頭部の両側についている目玉が一瞬動いたかに見えた。我が方の錯覚かも知れないが、確かにこのバッタには一生の最終期に違いなく、なお、瞠っている目は何かを見ている。何を見ようとしているのか、見ている。

  この世の最後の風景と言えようか。確かにそれは自らの命に見合う愛しさにある風景と言ってよいのではないか。後二、三日は落葉の褥や衾の中で夜の寒さを凌ぐのに違いない。写真は落葉が敷く山道で見かけたミヤマフキバッタ。   山満面 初冬の日差し 暖かし


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2015年11月23日 | 写詩・写歌・写俳

<1426>  柚 子

         柚子実る 幸せ色に 十三個

  庭に苗木を植えて五年ほどになる柚子は昨年初めて二個の実を生らせたが、今年は十三個。柚餅子(ゆべし)が出来るほどの大きさになり、十月末ごろから色づき始め、十一月中ごろにはすっかり黄色くなって、このほど収穫した。

  十三個が多いか少ないかはよくわからないが、高さ二メートル超の木の勢いからすれば、少ないかも知れない。しかし、「柚子は九年で生りかねる」と言われる果樹であり、昨年の初生り二個からすれば、十三個はまずまずといったところではなかろうかと納得している。

                                                                     

  お盆に乗せて食卓に置くと、明るく艶のある彩りが、やはり、幸せの色である。妻にどうするのか訊いてみたら、柚子大根にでも使おうかという。 写真は収穫した柚子の実。なお、柚子の季語は晩秋、柚子湯は仲冬である。では、柚子に今一句。  柚子の香や 列島いよいよ 冬型に

 


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2015年11月22日 | 写詩・写歌・写俳

<1425> 再び 帰り花

            帰り花 日が差し来れば 暖かし

  昨日、高見山に登ったら山頂近くの疎林の中に紅色を帯びた花を咲かせている高さが二メートルほどの落葉低木が見られた。日当たりのよい南東斜面のところ。雲が切れて暖かな日が差して来ると、五ミリほどの小さな花が点々と点るように紅色を増して鮮やかに見えた。最初は実と思い、近づいて見たのであったが、実ではなく鐘形の花だった。

                                                              

 低木という条件や小さな鐘形の花であることから、ツツジ科のスノキの仲間ではないかと思われた。帰って図鑑を調べてみたら、やはりスノキの仲間以外に該当するものがなかった。スノキの類はツツジと同じで、五、六月ごろに花を咲かせる。ということは、初冬の今ごろ咲く花というのは帰り花ということになる。

  帰り花と言えば、ナシやサクラなどのバラ科の木によく見られる秋から初冬の今ごろの時期に咲く季節外れの花を言うもので、狂い花とも呼ばれる。この帰り花はモチツツジなどツツジ科の木にも見られるので、昨日見た帰り花も珍しいものではないかも知れない。

 狂い花とは役に立たないあだ花を言うものであろう。散々な言い方であるが、花には違いない。生殖としては役に立たない花かも知れないが、その本体からすれば、生命のバランスにおいてこの狂い咲きの花も大切な役目を担っていると思える。言ってみれば、狂い花は決して無駄花ではなく、無意味な花ではないと言える。  写真は高見山の山頂付近で見かけたスノキの帰り花。このブログの「<48>帰り花」参照。では、狂い花の題で一句。 咲くがよし 花なればそも 狂ひ花


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2015年11月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1424> 大和山岳行 (21) 高 見 山

        一組の 夫婦と出合ふ 冬の山

 今日は東吉野村の高見山(一二四八メートル)に登った。高見山は三重県境に連なる台高山脈の北端に位置する山で、山頂には高見明神を祀る高角神社の祠がある。高見明神は神武天皇の東征のとき、道案内をした八咫烏の化身、もしくは、大化改新のとき討たれ、首が高見山まで飛んで来たという伝説の主、蘇我入鹿ではないかとも言われている。このため昔は高角山と呼ばれ、大和と伊勢の分水嶺に当たることもあって、高水山(たかすいやま)の名でも呼ばれた。

                                

  麓を大和と伊勢を結ぶ伊勢街道の一つである和歌山街道が通っていて昔から人々の往来があった。持統天皇が伊勢への行幸に際し通った道と目され、『万葉集』にこのとき従駕した石上麻呂が詠んだ歌(巻一の44番)に去来見乃山(いざみのやま)と見えるのは高見山という。まことに秀麗な山で東洋のマッターホルンと呼ぶ人もいるほどで、その姿は何処から見てもよくわかる。極めて眺望のよい山で、樹氷で名高い山でもある。

 今日は南東側の大峠から登った。奈良県側の道に崩落の危険があり、通行止めになっているため、国道一六六号の高見トンネルを抜けた三重県側から大峠に向かった。大峠に車を止め、そこからすっかり葉を落としたリョウブ、ミズナラ、ヒメシャラ、カエデ類、ツツジ類、ブナなどの落葉樹の自然林の中をこれら雑木の落葉を踏みながらほぼ直登の形で登った。登山開始時点では山頂付近に霧がかかっていたが、予報通り、天気がよくなり、霧も晴れて、山頂には一時間ほどで着いた。

                             

 何年ぶりかの山頂だったが、みごとな樹氷が出来ていた北西側の尾根の斜面のブナなどの高木がすっかり姿を消しているのには驚かされた。南斜面の樹木は傷んでいないので、北からの風にやられたようである。見晴らしがよくなったので、登山者には都合のよいことかも知れないが、冬場の樹氷には打撃である。樹氷は樹木がなくては様にならないので、これはピンチと言える。

 今日の今一つの印象は、登山道の付近にマユミが点在し、葉を落とした冬木の中で紅い実をつけているのがよく目についたことである。 植生の観察には花の時期だけでなく、実がよく目につく冬の時期に歩くのもよいと感じた。 写真上段は高見山(木津峠付近から)、写真下段はすっかり葉を落とした登山道周辺の木々(左)、紅い実を沢山つけたマユミ(中)、ブナなどの樹木が姿を消した樹氷が現れることで知られる高見山山頂付近の斜面 (右)。 [教訓] 世は常ならず。