大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年06月25日 | 写詩・写歌・写俳

<1025> 大和寸景 「 真夏の印象」

         葛城も三輪も明日香も斑鳩も 夏の大和は雲に照らさる

 大和の夏は青垣の山並のそこここに白い雲が湧きあがり、その雲の輝きに始まると言ってよい。東に春日・高円、竜王・三輪、西に金剛・葛城、信貴・生駒、東に春日・高円、龍王・三輪、南に吉野の諸山、北に佐保丘陵等。大和国中(やまとくんなか)の田園地帯(平野部)に立つと、これら青垣の山々に囲まれているのがわかる。

                

 その囲んで連なる山並の上空に、夏本番になると雲が湧きあがり、見られるようになる。その雲はみな白く輝やき、国中を照らす。大和の真夏はこうしてやって来る。夏至が過ぎ、夏越しが過ぎ、七夕が過ぎ、そして、子供たちには待望の夏休みが来る。ツバナが終わり、卯の花のウツギが終わり、ノウゼンカズラが咲き、キョウチクトウやサルスベリの花が見られるようになる。

 水田の苗は日々に太り、青々と育ち行く。ツバメは子を育て終え、田の面を曲芸飛行のようにすいすいと飛び回っている。農家では田の見回りを欠かさず、追肥をしたりしている。斑鳩の三塔は深みゆく緑の中、今まさに夏安居(げあんご)。潜む気分がある。これがまさに夏本番を迎えた大和路である。梅雨の中休みか、日の射すこの二日ほどに思うことではあった。では、今一首。 早苗田は道の長手に続きゐる彼方に遠く夏雲の峰  写真左は大和特有の白く輝く夏雲(斑鳩の里から東方を望む)。右は金剛葛城の山並の上空に現れた夏雲。まだ完全には整っていない。


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2014年06月24日 | 写詩・写歌・写俳

<1024> うからの風景

      晴れやかに痩身一軀ストイックの父のいませり 早苗田の中

          <思うところ常ながらあり、玲瓏たらんことを>

        

                        ここに一系譜 一群の人々のあり

          それは 即ち うから

          天の下にあるものとしての うから

          地に立つものとしての うから

          風の中の 光の中の

          知と感を有してあるところの うから

         生の つまり 生きとし生けるものの

          矜持と真摯とを自覚のうちに持ち得て

          歩む存在たらんと欲するところの うから

          その願いに加えて 述べよ

          覚悟と一途とを秘めて行くべくある

          はかない存在としての うから

          はかないゆえに愛の滲む

          涙ぐましいやさしさの持ち主たる

                    生命の本源と末端に思いを巡らせるところの うから

          願わくは 玲瓏と行くべくあらんことを

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2014年06月23日 | 万葉の花

<1023> 万葉の花 (127) ちち (知智、知々) = イヌビワ (犬枇杷)

         ちちの実や 陵墓も夏の 繁りかな

 ちちの実の 父の命 ははそはの 母の命 おぼろかに 情(こころ)尽して 思ふらむ その子なれやも 丈夫(ますらを)や 空しくあるべき 梓弓 末振り起し 投矢以ち 千尋射渡し 剱太刀 腰に取り佩き あしひきの 八峰(やつを)踏み越え さし任くる 情障らず 後の代の 語り継ぐべく 名を立つべしも                                                                                                                                                                                                                   巻十九 (4164) 大伴家持

 大君の 任(まけ)のまにまに 島守(しまもり)に わが立ち来れば ははそ葉の 母の命は 御裳(みも)の裾 つみ挙げ掻き撫で ちちの実の 父の命は𣑥綱(たくづの)の白鬚(しらひげ)の上(うへ)ゆ 涙垂り 嘆き宣賜(のた)ばく 鹿兒(かご)じもの ただ独りして 朝戸出(あさとで)の 愛しきわが子   ― 以下略 ― 

                                                                   巻二十 (4408)       同

 集中にちちの登場する歌は、この4164番の長歌と巻二十の4408番の長歌の二首で、両歌とも「ちちの実の 父の命(みこと)」という「ち」の音を重ねることによって父を導く枕詞として用い、同じく「は」の音の重なりによって母を導く「ははそはの 母の命」を対に表現した技巧の勝った歌であるのがわかる。

 ともに家持の歌で、冒頭にあげた4164番の長歌は、「勇士(ますらを)の名を振るはむことを慕(ねが)ふ歌一首」の詞書が見え、左注に「追ひて山上憶良臣の作れる歌に和(こた)ふ」とあるので、この長歌は、憶良が重篤な病に陥り、人を遣わして藤原八束が見舞いをしたとき、これに応えて憶良が「士(をのこ)やも空しかるべき万世(よろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして」(巻六・978)と詠んだ。これに対し、家持がこの歌に和して作ったというものである。

  大伴家は代々武を任として朝廷に仕えて来た家柄で、家持自身も兵部少輔の時代があり、最後は陸奥按察使特節征東将軍として陸奥国(宮城県)の任地で歿したという説があるほどである。この長歌の心意気というのは、そういう意味から言って理解される。なお、八束は藤原不比等の次男房前の第三子で、大納言に昇り、真楯の名を賜った度量の広い聡明な人物で、『万葉集』への関与も聞かれ、憶良には親しく接していた。と同時に家持にも関わりのあったことがうかがえる。

 憶良の978番の歌というのは「男子たるもの、虚しく朽ち果ててよいものだろうか。いつまでも語り継がれる名を立てることもなく」という意で、病に倒れた悔しさをいうこの憶良の男子たるももの歌にして家持の4164番の長歌はあるわけである。で、長歌の意は「父の命や母の命がいいかげんに心を傾けて育てた子ではないはずだ。そういう男子たるものが空しく世を過してよいものか。立派な弓を振り起し、投げ矢を遠くまで射渡し、大太刀を腰に差して、山々を越え、任を与えてもらった大御心に背かないように、後の世の人が語り継いでゆくほどの人として立派に名を立てるべきである」というもの。この歌は、重篤な病に罹り気弱になっている憶良を励ます内容になっているのがわかる。

 一方の4408番の長歌は「防人の別を悲しぶる情(こころ)を陳ぶる歌一首」の詞書がある歌で、家持が防人本人になって、その心情を詠んだ歌である。この歌も、やはり、父母に対する男児の恩愛が詠まれ、4164番の歌に通じるところがある。この長歌二首を見ると、家持の人となりというか、世の中に対するものの考え方というか、そういういわゆる資質というものがくっきりと見えて来る。家持には優雅な内容の歌もあるけれど、こうした情愛に満ちた歌がその特質として見られる点が、この「ちちの実」の表現をもって見える両歌にはうかがえる次第である。

               

  ここで本題の「ちち」という植物であるが、まず、トチ(栃)の実説がある。古くはトチをちちと呼んだことによる。次にイチョウ(銀杏)説がある。これはイチョウの樹幹が古木になると乳房のように垂れる現象に至るからである。例えば、大和葛城の一言主神社の神木のイチョウにこの現象が見られる。次にマツ(松)の実説がある。これは松毬(まつふぐり)をチチグリとかチチリと呼ぶためである。「チチとはチヂミフグリ(縮陰囊)の義」と説は述べている。

  だが、これらには否定的見解が見られ、トチの実説には現在の方言にそれらしい名が見当たらないこと。イチョウ説にはイチョウが有史前の樹木ではあるが、万葉当時の文献等に全く登場せず、中国原産で、渡来時期がずっと後の、古くても十三世紀のころではないかとされる点があげられている。また、マツの実説については、マツの名で集中に七十八首登場している点があり、チチリは江戸時代になってからという指摘があるといった具合である。

  これらに対し、有力な説にイヌビワ(犬枇杷)説がある。イヌビワはイタビの別名を有するクワ科イチジク属の落葉小高木で、我が国では本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄、済州島に分布し、平地から丘陵、山地に自生する。葉は卵状楕円形で、互生する。雌雄別株で、花期は四、五月ごろ。イチジクと同じく花囊をつけ、これが実となり、この実や幹を傷つけると白い乳液が出るので、ちちの名が生じたと言われ、地方名にチチノキ、チチノミ、チチブ、チチコなどの名が見られるという具合である。

  加えて古文献には「一名いちぢく、一名いぬびは、一名むもれ木とよぶものの実にして、西土にいはゆる天仙果なり」とあり、目立たない木で、観察眼をもって見ないと判別出来ないほど特徴のない雑木であるが、実があれば、それとわかるので、山道などでも実さえついていれば案外たやすく見つけることが出来る。で、このイヌビワ説が今では最も有力な説になっているという次第である。なお、「ちちの実」の対語に用いられている「ははそ葉」の「ははそ」はコナラとするのが大方の見方である。 写真は左から花囊が見えるイヌビワ、実を鈴生りにするイチョウ、落下寸前のトチの実、まだ青い松の毬果。

 

 


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2014年06月22日 | 写詩・写歌・写俳

<1022> 娘からのメール

           どんなことにも そうだ

      美徳をもって  すれば

      まず 間違いはない

 つい最近、病院に勤めている娘からメールが来た。いつも、妻の携帯に来るので、その内容については妻から私には届くことがほとんどである。今回もいつもの通りだった。メールは私的なことであるからここで敢えて触れることもないように思われたけれども、今回のメールは社会性のあることなので紹介してもよいかと思い、ここに触れることにした次第である。

 一回目のメールは次のようにあった。「今日は朝の通勤途上、倒れている高齢女性に出くわしました。普段、救急車の要請したりしているので、比較的落ち着いて対応出来ました。その後どうなったかは分からないけれど、熱中症程度だといいんだけれど…と思っています」というもので、「こんなことがあったらしい」と妻から聞いた。

 つまり、娘は通勤の途中で、高齢の女性が倒れているのに出会い、救急車を呼ぶなどの対応をしたようである。このメールに対し、「お疲れ様です。人だすけしてあげたんだね。(略)元気になってくれることを心の中で祈ってあげたら」と妻が返信すると、二回目のメールが来て、「遅刻しちゃったけど、見て見ぬ振りは出来ないので、もう一人の女性ともども関わりました。意識はあったし、年齢や名前も名乗れていたので、大病ではないような気がします」とあった。娘はその急病女性を救急車に託し、勤務先に向かったようである。

                                                                      

 メールを見て、私は、娘の判断を正しかったと思ったが、遅刻したということは任務(仕事)に支障を来たしたことになるので、そこのところは厳然としてあるわけで、この点は受け止めなくてはならないところである。その上でなお倒れた高齢女性に対応した娘の判断は間違っていなかったということが私には思われる。メールの内容を見る限り、命に別状のある状況ではなかったようであるが、対応が遅れれば、病状が急変することもあるから、娘の判断と対応はよかったと思える。

 出勤の定時に遅くれたということであるから、仕事においては自分のマイナス点になったろうことは確かであるが、このような場合は、どちらに重きを置くかということになり、とっさの判断が求められるということで、娘には現場でその対応を迫られ、急病者の対処を選択した。一高齢者の生命に関わることよりも自分の仕事の方が優先されてあるものならば、その場は誰かに託して出社することも一つの判断であったろうが、病院に勤めていることもあって、その場の対処はことなくスムーズに出来たようであるのでよかったように思われる。

 遅刻は自分にとって仕事上マイナス点になっただろうことを、少し心配したが、妻はしっかりしている娘だから大丈夫、勤め先の病院には納得してもらえるだろうというので、「そうだ」と思うと同時に、こういうときの判断には人間性が現われるものだということが思われ、冒頭の言葉が浮かんだのであった。

 そこには、自分のことだけでなく、相手やほかの人への慮りが言えることで、それはサッカー会場で観戦後にゴミを拾って帰る日本人サポーターのマナ―や東京都議会の悪質なヤジなどが思い起こされ、美徳とは如何なるをもって美徳と言えるか、そういうことが思われた次第である。美徳とは他者への思いやりではないか。娘には遅刻のマイナス点を取り戻すほどの心意気で仕事に精進し、この一件に対してはよいことが出来たと思ってもらいたいと思う。 写真は娘からのメール(左が一回目)

 


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2014年06月21日 | 写詩・写歌・写俳

<1021> 夏 至

        輝きは そこに生まるるものとこそ 全身汗のジャパンイレブン

  今日は夏至で昼の時間が一番長い日である。大和は雨の予報だったが、朝から高曇りで、雨は降らず、一日中どんよりとしていた。この時期になると、ドクダミ科のドクダミ(蕺草)やハンゲショウ(半夏生)の花が見られるようになる。ドクダミは半日蔭に、ハンゲショウは湿地や水辺に群落をつくり生える多年草で、ともに全国的に自生分布し、薬草として知られる。

    

 ドクダミは暗緑色の心形の葉を有し、六、七月ごろ、茎の上部に花弁のような白い十字形の苞が印象的な花を咲かせる。清楚な花であるが、全草に独特の臭気があるため、その印象はこの臭いと相殺されるところがある。薬草として名高く、その名は毒を矯め除く意、即ち、人体の毒を取り除く効能によっていると言われるほどで、その薬効は利尿、便通、高血圧予防などに及び、全草を乾燥し煎じて服用する。

 また、化膿止めにも効能があり、これには生の葉を火に炙り、軟らかくして患部に貼るのがよいと言われている。この薬効により、十薬の生薬名も見えるが、根が強いので畑や庭に入り込むと、なかなか取り除けないので、シブトグサという異名も持っている。

 一方、ハンゲショウは夏至から十一日目に当たる日を半夏生(今年は七月二日)と言い、この時期になると花穂を上部の葉腋から伸ばし、淡黄色の小さな花を多数つける。また、卵形の葉が一部白くなるので、半夏生のほか半化粧、片白草(かたしろぐさ)などこの葉の白変に因む名も見られる。ハンゲショウも薬用植物として知られ、利尿や腫れものに効能があると言われる。漢名は三白草(さんはくそう)で、生薬名にもなっている。

 じめじめとする梅雨の時期は病気も蔓延する季節の先がけで、薬草が暮らしの中で役立てられて来たことがドクダミやハンゲショウには思われるところである。サッカーのW杯が開催中のブラジルは湿度の高い国らしくJリーガーの玉の汗が印象的であるが、その光る汗も見る者に感動を呼ぶ。夏至が過ぎ、W杯が終わるころはいよいよ真夏である。 写真はドクダミ(左)とハンゲショウの花。