<1026> W杯のジャパンイレブン敗退に思う
悔しさの中に一種の清しが見ゆる敗れしジャパンイレブン
サッカーのW杯で、日本代表は一勝も出来ず、決勝リーグに進めなかった。なぜ、こんなに盛り上がるのかと思われるほど盛り上がったが、残念な結果になった。この盛り上がりについては、サッカーというスポーツが世界中どこの国でも愛され親しまれているからだろう。極めて単純なルールの下で一個のボールを追う。そのひたむきな選手たちの動きと絡み合いが十一人同士のチームワークによって展開する。前半四十五分、後半四十五分。その試合は過酷で、その過酷からゴールのネットを揺らす醍醐味がサッカーにはある。その連携されたボール運びはグラウンドの選手だけでなく、応援する観客をも一体にさせる力がある。子供たちの間にサッカー人気が出ているのもわかる気がする。
予選の一次リーグは三試合で、勝利することは出来なかったが、選手たちにはよくやったと思う。全身汗まみれの姿を見ると負けを攻める気にはなれない。他国の選手に比べ、小さな日本人の体格からしてハンディーがある。それを精神力とチームワークで補いつつ戦った。ただ一つ言えることは、三試合が一貫した試合運びにならなかった迷いの生じたこと、それだけが残念に思われる。
三試合を見て思うのは、やはり、守りがしっかりしていなければ、結局は勝てないということである。一方に、攻めて点を取らなければ勝てないという論があり、確かにそれは言えるし、「攻撃は最大の防御」とも言われる。だが、これは相手を考えない自分のみを考えにおいた論であるように思われる。対戦する両方を同時に見て論ずるならば、守備に勝る方が勝ちに繋がる率が高いということが言える。
サッカーのようにチームで対戦するゲームでは、攻撃する方に目が向けられ、報道などもそちらに向けられる傾向にあるが、チームの強さは守備で相手の攻撃を凌いぐところにある。1-4で敗れたコロンビア戦はそれをよく示していたと思う。日本がいくら攻め上がってもコロンビアの守備力は堅かった。ということは、コロンビアが攻撃もさることながら、守備にも長けていた。それに比べ、日本はどうだったか。コロンビアは一瞬の隙をついてカウンター攻撃を仕掛け、なんなく点を積み上げた。
日本は守備より攻撃に重点を置いた布陣で臨んだ。いわゆる、守備を疎かにした。これは一敗一分けの戦績上致し方なかったか。しかし、ここに一貫性がなかったように思われる。いくら点を取ってもそれ以上に点を取られれば試合には勝てない。つまり、この試合は攻撃力の差もさることながら、守備力の差によって敗れたということが出来る。これはこれからの教訓にしなければならないところだろう。
サッカーは十一人のメンバーでやり、主に攻撃陣と守備陣によってゲームを作って行くが、守備に力を注ぐということは、守備陣だけが守備に力を注ぐという意味ではない。そこに攻撃陣も加わるということである。思うに、コロンビアのカウンター攻撃は、攻撃が最大の防御であることを地で行っているわけであるが、そこには守備が基本にあることを忘れてはならない。
今回の予選リーグで、ギリシャが決勝進出に勝ち残ったが、ギリシャには十人で戦った日本戦に引き分けて勝ち点1を得たことが大きかったと思う。この二戦目のギリシャ戦を振り返れば、はっきりわかる。ギリシャはレッドカードで一人退場処分になって、十人で戦うに至り、守りを固める作戦に出た。日本は攻めに攻めたがギリシャは守り通した。これはギリシャの守備力が日本の攻撃力を凌いだことを示すもので、この凌いだ結果としてギリシャは決勝リーグに進むことが出来たのである。言わば、ギリシャの決勝進出は守備力によることが言える。つまり、守備を固めて、攻撃に出た結果の現われである。
ところで、これはサッカーの日本代表だけの話ではない。今の安倍内閣にも通じるところではないかという気がする。外に打って出ることばかり考慮して、守備を蔑にしてはいないか。攻撃ばかりに目が行っている間に守備が疎かになり、結局は思う通りにならない。そういうことになりはしないか。TPPなどはどのように交渉しているのだろうか。華々しく政策を打ち上げているが、果して守備の足もとは大丈夫か。財政一つをとっても甚だ覚束ないところがある。
どこかの国にカウンター攻撃、あるいはフェイントをかけられてあたふたしないように願いたいものである。改めて思うに、生の基本は攻撃力よりも守備力である。守備の基本がしっかりしていれば、攻めの失敗もなんとかなるが、守る基本が出来ていなければ、痛手を受ける。もちろん、これは戦備の話ではない。国の有り方としての問題である。