大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年06月01日 | 写詩・写歌・写俳

<1001> 六 月 入 り

         壁の疵 ある夏の日が 蘇る

 大和は連日の暑さ。今日から六月ということで、我が家では、朝食のスープが夏向きの野菜サラダに変わった。そして、部屋の方も夏向きに衣替えした。我が家の辺りは昭和四十年代に出来た二百戸余りの新興住宅地で、生まれて約半世紀になるが、当時、新居を構えた人たちはみな高齢化し、亡くなった住人も多く、世代交代や居住者の入れ替わりが生じ、中には独り暮らしや空き家になっているところもあり、かなり様変わりしているところがうかがえる。

 また、ほとんどの家で建て替えや改築がなされ、我が家もその一つであるが、その風景は住宅地として落ちついた感じに見える。だが、昔に比べると、町並が何となくひっそりしているように思われるところがある。これは同居世帯が少なくなり、元の親世代、つまり、高齢者だけが住む家が多くなって、子供の数が少なくなっているからだと言えるように思われる。

 そういう我が家も娘が結婚と同時に別居して、夫婦二人の暮らしになって久しい。この先どうなることかと、時々考えるが、周囲を見ても、私たちと同じような境遇にある住人が多いように思われる。暮らしというのは、個別個人的なものであるが、この高齢化する住宅地の状況というのは、やはり、我が国の現状を物語っていると言えそうである。

                                     

 代わり映えしない部屋であるが、衣替えによって多少は気分も転換出来る。ということで、今日半日ほどをかけて夏姿に整えた。元気のいい子供たちの声はときに疲れさせられることもあるが、全く聞こえないというのはなんとも淋しく、活気がない。日本は今、集団的自衛権の行使容認の問題など、もっぱら国政が外向きになっているが、国内の様相はもっと厳しい状況に陥っている。

 その状況は首都を離れるに従って厳しい局面にあることに国政を担う政治家たちにはどうもわかっていないような気がする。この国情を変えて立て直すには、ものの考え方を変えなくてはならない。如何なるに価値、評価を見出し、求めるかであろう。が、これは難題である。

 例えば、医療の理念一つをあげてみてもわかることである。延命を金科玉条のごとくに考え、寿命を延ばして来た。しかし、それだけで、医療の役割は果たせていると言えるのか。延命には幸せとか、尊厳とかが同時に叶えられなくてはならないのではないか。医療政策にその点が欠けているのではないか。延命は求められるものながら、それによって幸せとか尊厳が損なわれているのでは何の延命かわからなくなる。そういうことが、高齢化に向かう社会では問われている。

 我が家の近くでは、クリが花を咲かせ始めた。時は巡り、この時期になるとクリの花は独特の匂いを漂わせながら咲く。草いきれが一段と強くなり、ウメの実が葉陰で太って来た。そんな六月一日。とりとめもなく思うことではあった。 写真は咲き始めたクリの花と取り出した扇風機。