大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年12月18日 | 写詩・写歌・写俳

<107> タチバナの実
         冬晴れの 朝すがすがし 南円堂
  十七日、奈良市では春日若宮御祭のお渡り式があり、前回の<106>でこのお渡り式の模様についてはお話した。今回は祭以外で目にとまったことについて触れてみたいと思う。 御祭 (おんまつり) は 春日大社を目指して行けばわかるだろうと思い、JR奈良駅から三条通りを東へ一直線に歩いた。
  三条通りは突き当たるところが少々の坂になっているが、その坂に差しかかる猿沢の池を右手に見るところを左に取って石段を登ると興福寺の南円堂の前に出る。お渡り式の行列は正午スタートと聞いていたので、興福寺の辺りで少し時間を割いてぶらぶらした。午前中は天気がよく、思っていたよりも暖かく、気持ちがよかった。
  南円堂の前に来ると、正面に向かって左手にタチバナが黄金色の実を沢山つけているのが見られた。 説明にはヤマトタチバナとあり、興福寺が藤原氏の氏寺でもあったことから、 御所などでは「左近の桜、右近の橘」とされ、 サクラとタチバナが植えられているのであるが、南円堂では「左近の藤、右近の橘」といった具合で、藤原氏のフジに因み、 片方にフジが見え、一方のタチバナが今、ピンポン玉ほどの可愛らしい黄金色の実をつけている次第である。

                  
  タチバナはミカン科の常緑低木で、 近畿以西や台湾などに分布すると言われるが、 今は観賞用に植えられているものがほとんどで、 自生するものは珍しいと言われる。その名は、『日本書紀』や『古事記』に垂仁天皇の命によって常世の国に 「非時の香菓」を求めて旅に出た 田道間守(多遅麻毛里・たぢまもり)が持ち帰った実であるということで、その「たぢまもり」の名からつけられたというのが命名の主な説になっている。

  蓬莱山に「トコヨノクニ」の傍訓が見えるが、我が国の産であるということで、ヤマトタチバナ(一名ニホンタチバナ)の名もあり、ヤマタチバナとも呼ばれる。また、実が小さいのでコミカン(一名コウジミカン)とも目され、キシュウミカンの古名との見解もある。実は酸味が強いので、食用としての実績はなく、 わずかに薬用として食欲増進にされるくらいである。 初夏に咲くミカンに似た白い五弁花に芳香があり、専らこの花に話題が集中する趣の木で、「花橘」などで和歌などに詠まれている。
    さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする                                        詠人知らず  
  これは『古今和歌集』に出て来る歌で、 初夏の歌として昔からよく知られているが、『万葉集』には六十九首に見え、奈良時代には既によく知られていたことがわかる。 花は、また、家紋にも用いられ、 大和には明日香の里などに多い。 文化勲章にも用いられていることは有名である。  写真は左が実を生らせる興福寺・南円堂のタチバナ。右は花(北葛城郡河合町の広瀬神社で)。

                                                            


最新の画像もっと見る

コメントを投稿