大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年11月18日 | 写詩・写歌・写俳

<807> 大和寸景  「冬のヒマワリ」

          炎ゆるほどにはなく冬のヒマワリ

 ヒマワリというのは夏の景物だという印象が強いが、冬にも見られる。これが最近の状況である。吉野に向う高取町の沿道で花盛りのヒマワリを見かけた。もちろんのこと、ヒマワリの季語は夏。一、二本季節はずれに咲く花は以前にも見かけたことがある。だが、畑に筋をなして花を咲かせるヒマワリに出会ったのは今回が初めてである。

 現代の欲求社会では、四季を問わず、年がら年中、欲しいものを手に入れることが出来るような仕立てになっている。果物一つを見てもそれが言える。夏のものであったトマトなどは一年中いつでも手に入れられる。こんな具合で、冬のヒマワリも登場を見るようになったのだろう。これは前述したように、私たちの欲求がそうさせているからであるが、この欲求充足を目的にする社会が、私たちにとって健全であればよいのであるが、そのように運ばないケースも見て取れるのが現代のような気がする。

 ヒマワリは一つの例で、このような欲求充足にのみ価値を見出す時代になると、或いは四季の感覚に乏しくなり、四季によって育まれて来た私たちの感性に影響が及ぶことになる。このことは私たちの精神生活に関わる問題であるが、私たちは現実の利に傾いて、もっぱら現実利得に向い、精神状況のことにまで考えが及ばないことが往々にして起きる。この状況は合理主義に汲み取られ、観念的な精神が侵されて行くことになる。

 すべてがこの合理主義でやって行けれるのであれば言うことはないが、合理主義のみで社会を運営して行くことには無理がある。人間の欲求充足から来る合理主義を推し進めて行くと、自然の摂理である四季の移ろいなどは無視されがちになる。この冬のヒマワリがいい例で、俳句のような精神世界は疎かにされて行かざるを得なくなる。言わば、合理主義が私たちの幸福に近づく方法だとしても、それは決して十分ではなく、観念的精神主義は、その対立点において、むしろ合理主義のやり方に一言を呈することになる。幸福へのアプローチに豊かさを加味するという点において。また、合理主義の暴走に歯止めを掛ける意味において、観念的精神主義の必要性は言われるところとなる。

                                               

 ここで、なお、考えを進めると、科学は人間の欲求と合理主義に迎えられ社会の発展に寄与し、これは誰もが認めるところで、これらが組み合わさって社会を進展させ、今日に至っていることに間違いはない。だが、これで万全かと言えば、そうは言えず、多くの今日的問題を生じさせていることもあげられる。例えば、人間の欲求と科学と合理主義の組み合わせによって、あるいはこのほど問題になっている無人攻撃機なども生まれて来たことが言える。ここまで考えると、果たして、科学を引き合いに出す合理主義が社会の発展に完璧な貢献をしているかは疑問符もつけられることになる。

 そこで、観念的精神主義の必要性が思われて来るわけである。福島第一原発事故以来、原発の有無論争が絶えないのは、この科学を味方にする合理主義と観念に基づく精神主義のぶつかり合いが起きているからと言える。これは科学における問題であるが、自然への対処においても、あの巨大な自然現象である津波を経験した状況下では科学と同じように、この自然現象においても、合理主義と精神主義が衝突を見ているところがわかる。

 あのような巨大な津波による壊滅的被害を被った地域では、海を恐怖と感じる。これは私たちが生身である以上当然と言える。だが、海に寄り添って生活をしている人々にとっては割り切れないところがある。つまり、そこを生活の場にして来た住人にとって、海は愛するべき存在であり、なくてはならない存在だからである。復興一つを見ても、そこには科学に寄り添ってある合理主義と風土とか歴史を重んじる観念的精神主義との衝突が起きることになる。そこには高台移転派がある一方で、今までの場所に拘泥する住人もいるのである。

 私たちの行く末には、これからもこの合理主義と精神主義がせめぎ合うのであろう。現代においては、米国型の合理主義がどんどん入り込んで、我が国固有の精神主義を侵して行くように思えるが、我が国の歴史を紐解いてみると、このような外来の精神に対し、それをうまく取り入れて日本独自のものに構築して来たことがうかがえる。そして、今という時代は、この先人たちの知恵というものを汲んで、それを発揮しなくてはならないところに差しかかっていることが思われる。

  で、私たちのこれからは、この合理主義と精神主義のバランスにおいてものごとが進められるかどうかにかかっていると言える。冬のヒマワリの光景から話が妙な方に飛躍してしまったが、この冬のヒマワリの光景をどのように見るかということは、ほかのことがらにも通じるような気がする。とにかく、実利に重きを置く合理主義と理想的豊かさを見つめる精神主義を私たちはいつも考えの上に置いておく必要があるように思われる。写真は冬のヒマワリ。

 


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