大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年02月12日 | 写詩・写歌・写俳

<1256> 継承ということ

      伝統と継承 持続と無事のこと 御田植祭の牛役の所作

 昨日、廣瀬神社(河合町)に出かけ、砂かけ祭りの殿上の儀を見た。神官の祝詞の奏上など神事の一連が行なわれた後、拝殿で御田植祭の所作事があった。私は正面左側の所作役が坐っている後ろの階段下で多くの見物衆に交じって手擦りにすがっていた。その位置からは神殿での神事の様子はほとんどうかがい知ることが出来なかったが、御田植祭の象徴的な写真が一枚撮影出来ればよいと思い、所作事の主役である牛役の後ろに位置を占めて拝殿を見上げていた。

 神殿での神事は三十分ほどで終わったが、所作役は拝殿の板敷きに正座して自分の役割が回って来るのを待っていた。黒装束の牛役はがっしりとした大柄な体格の青年で、まだ、牛の頭は傍らの台に置かれ、被っていなかった。青年は頬に赤味の差しているのが印象的だったが、神殿の儀式が進むにつれて正座している足が覚束なくなったようで、それを我慢しているのが直ぐ後ろにいる私にはわかった。

 どうも牛役は毎年地元の若い者が務め、変わる慣わしがあるのだろう。近くに牛役をサポートする経験者らしい先輩格の男たちが三人ほど待機していた。牛役の青年が正座に耐えかねてもじもじ体を動かし始めると、その一人が青年の足を突きにかかった。そろそろ足にしびれが来るころだということが経験者の先輩たちにはわかっている。青年はいよいよしびれが酷くなって来たようであったが、我慢していた。青年には座禅と同じ修行だという気がした。先輩の突きはさしづめ警策であろう。

                

 神殿の儀式が終わり、拝殿の所作事に移ったが、牛役の出番はまだ先である。早乙女役の少女子二人が神楽の舞いを奉納し始めると、青年は我慢も限界に達したか、少し体をずらし、足のしびれを訴えた。青年には足のしびれによって体が思うように動かせなかったら御田植祭の役目が果たせないという不安な気持ちが起きて来たに違いない。

 経験者の先輩たちはそれでもときどき警策の効用をしてひやかしを入れていたが、そのとき、後ろにずらした青年の白足袋の足にやさしい手が伸びて揉み始めるのが見られた。彼女か、それとも嫁さんか、母親ではないように思われたが、助け船が出た。これに勇気づけられたか、青年は正座し直して出番を待った。そして、青年はいよいよ自分の役どころになって立ち上がった。ちょっと心配だったが、ふらつくこともなく、牛の頭をつけてもらい田男役の一人と拝殿の舞台に出て行った。

 先輩格の男たちがかける囃子言葉に牛に扮した青年は応えながら拝殿の舞台を巡った。鋤による田おこしに始まり、馬鍬の田ならしの五分ほどの所作であったが、その間、「今年は未(ひつじ)やで」というかけ合いの声が飛ぶと、牛役の青年は「めー」と応え返す余裕を見せ、見物衆の笑いを誘った。で、私はこの青年の牛の所作に的を絞って写真を撮ったのであった。

 その後、早乙女役の少女子二人による苗の植え付けの所作があり、御田植祭の殿上の儀は終了した。牛役の青年は牛の頭をはずしてもらい、元の場所に戻って来た。赤味を帯びた頬がより赤くなっているように見受けられたが、無事に役どころを終え、ほっとしたような雰囲気があった。目の前に青年が来たので、私は「お疲れさま」と声をかけたのであったが、先輩格の男たちからも労われていた。

 砂かけ祭りのような古くから行なわれている祭りも、こうした役割ごとに継承がなされ、その伝統が守られている。牛役の青年にはいつか先輩格の男たちと同じ役回りにつくのであろうことが思われたのであった。こうして祭りは守られ、毎年盛り上がったものになるのである。写真は殿上の儀で、所作を披露する青年の牛役(左)と田男役と牛役のアップ。

 


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