大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月22日 | 植物

<961> 曽爾高原のスミレの仲間

      花あれば そこに確かな営みが 末黒にスミレの咲き出せるなり

 ススキの名所で知られる曽爾村の曽爾高原では毎年三月に山焼きが行われ、今年も十六日(日)に行なわれた。その焼かれたススキの原の末黒(すぐろ)から逸早く芽を出し、花を咲かせるのがスミレの仲間で、広い末黒のそこここにその花が見受けられる。今日はその末黒の中に見られるスミレ類を紹介したいと思う。

 平地ではサクラも大体終わり、春も一歩時を進めているが、標高七、八百メートルの高原は風が強く、その風も冷たく、草木はみな縮こまっているように見られる。そんな中でスミレ類は花を咲かせているが、強い風のために違いない、草丈の低いスミレの仲間は矮小化し、地に張りつくように生えたり、石に寄り添うように生えたりしているのがうかがえる。春の高原はそんなところであるが、そんな高原がスミレの仲間にはいいのだろう。

 生きて行くということは、環境に馴染むということ。どんなに強い生きものでも、環境に馴染めなければ、生き延びては行けない。また、どんなに弱い立場の生きものでも、環境に馴染んでいられるものは、滅びることなく、生き長らえて行くことが出来る。スミレの仲間にとってススキの高原で生き延びて行けるのは、ススキが毎年山焼きで焼かれるからで、ススキが株元から芽を出す前に、土の中で眠っていたスミレの仲間は起き出し、繁殖の営みを励む。言わば、高原の春はスミレの仲間にとって忙しい季節なのである。

           

 多分、ススキの山焼きが行われずあったら、スミレの仲間は滅びるであろう。つまり、ここに育つスミレの仲間はススキ原の山焼きが生きる営みの環境を整えてくれていることになる。 写真は左からアカフタチツボスミレ、ヒメスミレ、エイザンスミレ、ヒゴスミレ、オカスミレ、フモトスミレ。


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