大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年04月21日 | 写詩・写歌・写俳

<960> 反 省 と 教 訓

          思ひしはそれゆゑならむ 誰もみな生くべくありて 生きゐるにあり

  大変なことになっている韓国のフェリー沈没による多数の死者や行方不明者を出している事故の顛末の報の中で、乗船間もない若い女性の三等航海士(二十五歳)がフェリーの運行指揮に当たり、スピードを出していたことと船長以下乗組員が乗客より先に沈む船から脱出し、救助されたというニュースを耳にして思い出すことがあった。

 平成十七年(二〇〇五年)四月二十五日、尼崎市で起きたJR福知山線の脱線事故である。百七人が死亡し、五百六十二人が負傷した大惨事であった。運転士は亡くなったが、二十三歳だった。このときも遅れを取り戻すために制限スピードを越えて走行し曲がり切れず脱線した。

  また、事故の電車に乗り合わせていたJR職員が負傷者の救出に当たらず、事故現場から立ち去り、出勤したという批判のニュースがあった。海と陸、国の違いはあるが、この二つの大惨事は非常に似通ったところのある事故であるのがわかる。だが、見えないところにも似ているところが指摘出来る。

             写真は多数の乗客を乗せたまま転覆したフェリー(4/21のテレビ映像による)

  一つには、ことの起きる前にこの事故が起きることに気づけなかったかということ。今一つは、ことが起きた後、何を優先して対処し、臨まなくてはならなかったかということ。この点について思い巡らせるに、二つの事故はよく似た点がうかがえる。今回の事故には、個人的問題もさることながら、フェリー会社を含む社会的背景があるように思える。当事者個々ももちろん問われて然るべきであるが、その背景を問うことも重要であると思われる。

  少し詳しく言えば、二つの大惨事には、現代が利益優先の社会をつくり上げて来た中で、軽視され、欠け落ちた企業倫理の隙間に生じた事故であるという共通点が見えるという点である。こういう国というか社会の体制の中で、経験の浅い若い運転士や航海士がその体制の仕組みの中で用いられ、やっている。この状況はほかの職種にも言える現代の傾向と見てよい。

  もちろん、若いからよくないというのではなく、事故原因がまだ定かではないが、そのとき、事故当事者として的確な判断が出来たかどうか、フェリー運行の指揮において果たして、その役割が果たせていたかどうか。経験不足が否めなかったのではないかということが思われて来る。

  仕事には経験が必要であるということがこの大惨事の海難事故からは見て取れるのであるが、科学技術の進歩は経験を軽視する傾向にあり、この傾向はデジタル社会に育った若い人たちに強く、職場内でもその傾向が顕著になりつつある。このようなことも、今回の大惨事には内包されているのではないか。

  最近はパソコンなど先端技術の先行と利益優先の社会の仕組みの中で、この経験軽視の傾向が進み、現場のノウハウよりも技術が先行し、経験者の発言力が失われ、それが現場に反映され、とっさの総合的な判断に誤りを来たすという具合になる。今回の事態はどうであったか、船長以下乗組員は逮捕されているようであるが、会社の運営内容とともに考える必要があると思われる。JR福知山線の脱線事故でも問われたことであるが、このフェリーの会社も問われることになるだろう。

 大惨事というのは忘れたころに起きると言われるが、人災の場合、過去の経験を教訓にしていれば、未然に防ぐことも出来、事態を最小限に食い止めることも出来る。言わば、日ごろが大切なわけであるが、今回の事故は過去の反省とか教訓が生かされず、利益優先にやっていたのではないかということが、ニュースの端々にうかがえる。

 もちろん、多くの乗客を船中に残したまま乗組員だけがちゃっかり脱出し、救助されたというのは、あきれてものが言えない話だが、これは個人の資質の問題で、当事者には社会から糾弾される。しかし、そこにいくら怒りをぶつけても、取り返しはつかない。問題はこのような体質的な運営がなされていたフェリー会社自体を問わなくてはならず、こうした社会をつくり上げて来た現代をも問はなくてはならないところだろう。ここに今回のテーマである「反省と教訓」がある。

 [追記] 全く別の話であるが、この大惨事と無関係な話ではないので、少し触れて置きたいと思う。政府は景気の下支えをするため、公共事業の追加予算を組んでいる。しかし、人手が足りなくて予算の執行が滞る状況にあるという。これは景気のことだけを考えに入れて進められる無節操なやり方で、危いところが見え隠れする。

 人手不足というのは、単なる人手の問題に止まらず、経験者の不足による粗悪工事の行なわれることが大いに考えられることである。予算だけ使って十分な工事が行なわれないというケースが考えられる。無節操ではないかというのは、これへの懸念があるからである。阪神大震災のとき倒れた阪神高速道神戸線は大阪万博に間に合わせるための突貫工事によって粗悪工事が行なわれたためだと言われる。これがまさしく反省であり、教訓であるが、ここに言うところの予算づけには、過去の反省や教訓が忘れ去られ、その結果としてまたもあのときのような粗悪工事がなされるのではないかという懸念があるからである。

 景気優先で行なわれるどさくさの公共事業が、果たして、利益優先の体質によって生じたJR福知山線の脱線事故や今回の韓国におけるフェリー沈没による大惨事に無関係とは言えないところが感じられるのでここに触れた次第である。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿