大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年12月22日 | 写詩・写歌・写俳

<2544> 余聞、余話 「 雨 の 冬 至 」

        冬至雨何だか諾へざる気分

 今日は昼が一番短く夜が一番長い冬至。朝から本降りの雨。それも底冷えをともなうような雨ではなく、この時期にしては暖かいと言ってよい奈良大和。盆地の空も周囲の青垣の山々もすっかり雨雲のベールに被われ、鬱陶しい日になった。冬至に本格的な雨が降ったことはこの何年かなかったように記憶するが、どうだったか。

 冬至と言えば、長い影が出来る晴れの日でないとその気分になれないところがある。明日よりは日脚が延びて春の芽吹きの季節に向かう。その気分はやはり雨の日よりも晴れて日差しのある方が好ましい。という次第で、今日は雨の冬至になった。

  で、この記事に添える写真を考えなくてはならなくなった。柚子湯のユズでもよいが、今年はユズが不作で、よくなかったし、以前、何回か用いているので、新鮮味がない。平成最後の冬至という意味からすると、日差しの写真が一番ぴったり来る。だが、それが不可能になったので、今年の特徴的風物はないかと思いを巡らせた結果、庭のナンテンの実にすることにした。

               

 この間から青虫とかキチョウ(黄蝶)のことに触れ、温暖化の影響ではないかということを話題にして来たが、我が家のナンテンの実にも異変が起きていることに気づいた。今年の実は果序が大きく実も沢山ついてみごとな眺めになっている。この眺めは喜ばしいことであるが、我が目にはこの眺めが青虫やキチョウと同様異変に感じられるのである。

 というのは、例年、ナンテンの実は赤く熟して来ると熟した先から野鳥、主にヒヨドリがやって来て正月を迎えるときには大方果序を裸にしてしまうので、果序に網を掛けるようにしている。だが、今年はナンテンの熟した実を目がけて野鳥の来る様子がなく、果序いっぱいに赤い実がついている。網を被せることもなく、我が家にとってはありがたいことになっているが、これは異変と言ってよく、この異変は野鳥の異変で、その野鳥の異変は、近くの山野の異変から来ていると想像される。そして、その山野の異変は温暖化に影響されていると考えを巡らせてゆくと、青虫やキチョウの異変に繋がり、自然全体のことだと思われて来る。

  今年に限って野鳥が我が家の庭のナンテンの実に来ないのは自然の山野の中に今年は野鳥の食べる木の実などが十分にあるからに違いない。こう考えてみると辻褄が合う。果たして、私たちは、生きものとして自然において繋がっていることが言える。先人が思いついた巡る四季の二十四節気の冬至の日に思うことではある。 写真は雨に濡れるナンテンの実。


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