大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年09月03日 | 植物

<731> フヨウ (芙蓉)

          ありし日に芽生えし思ひ 朝々に芙蓉の花の咲く庭の家

 フヨウは大きいもので高さが三メートルほどになるアオイ科フヨウ属の落葉低木で、四国や九州の南部、沖縄、台湾、中国、東南アジアに分布し、園芸品が多く、大和でも庭などに植えられたものが各地で見受けられる。

  掌状に切れ込む葉は二十センチほどの大きさで毛が多く、触るとざらつく。七月から十月ごろにかけて淡紅色の大きな五弁花を咲かせる。花は晩夏から初秋のころが盛りで、朝開いて夕方には萎む。所謂、一日花で、萎むと紅色を増す。ほかにもフヨウの品種には、花の色が朝方白く、夕方になると淡紅色に変るスイフヨウ(酔芙蓉)や花が白いシロバナフヨウが見られ、多年草で北米原産のアメリカフヨウなども見られる。なお、フヨウ属の仲間には、ムクゲがあり、モミジアオイやタチアオイなどがよく見られる。

 フヨウ(芙蓉)はハス(蓮)の異称で、中国ではハスをフヨウと呼ぶが、これは、ハスの花に似て美しい花を咲かせるフヨウを木芙蓉と称し、ハスの方を水芙蓉と言ったのを、ハスの方は「水」を省いて単にフヨウと呼び、木芙蓉の方はそのまま木芙蓉と呼んだ。だが、その名が我が国に伝来したとき、ハス(蓮)はフヨウと呼ばず、ハチスとかハスと呼んだ関係で、フヨウの方は木を省いて単にフヨウ(芙蓉)と呼ぶようになり、現在に至るという次第である。言わば、我が国と中国ではその名が逆になっているわけである。これは伝来する文化が微妙に変化を見せる例と言える。

                                                                                                         

  私が花を撮り始め、試みに撮った花がこの木芙蓉のフヨウだった。二十年ほど前のことであるが、ポジフィルムを用いて撮ったのをライトテーブルに透かして見たとき、実に色鮮やかに見え、感動した。それ以来、花に関心が持たれ、撮り続けているわけである。言ってみれば、このフヨウはそういう意味で私には懐かしい気分の花であることが言える。

  その後、いろんな花を撮って来たが、最初は、このフヨウのように美しい花が撮りたく思い大和の各地を歩いた。また、その花の写真を人にも見てもらいたいという思いに至り、足を悪くしてベッドから離れられない不自由を強いられていた田舎の母に見てもらうのもよいかと思い、ときに撮影した花の写真を送った。

 母は他界して久しいが、私の方も最初の気分とは少し変って、珍しい花を求めて撮影行をするようになった。もちろん、美しい花に出会えることは喜ばしいことであるが、ある時期から、珍しい花に関心の対象が移っていった。

  私にとって珍しい花であることは、花にとってはどこにでもなく、絶滅に瀕しているような花かも知れないと言えるわけで、そういう境遇の花へ私の気持ちは次第に傾いて行った。また、それだけでなく、自然の中で自然に生え、自然に咲いている花に会いたいという気持ちになって行った。で、最近は、園芸品にはあまり興味が湧かず、山野に足繁く出向くようになった。我が家には多少庭があるが、この庭はもっぱら妻の領域で、妻の好みに出来上がっているところがある。

 それにしても、フヨウの花を見ると晩夏、初秋の気分になるから、私には四季の花の一つで、なくてはならない花であると言える。越中(八尾)のおわら風の盆にスイフヨウは欠かせない花であるが、このおわら風の盆も今の時期である。何か、恋歌の生まれそうな雰囲気を有する花で、唄にも登場する。このところの気象は竜巻などあって荒っぽいが、季節は確かに夏から秋へ移りゆくのが感じられる。 写真はフヨウの花。

 


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