大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年12月02日 | 写詩・写歌・写俳

<1799> 余聞・余話 「韓国の騒動に思う」

       隣国の騒擾収まる気配なく悲劇も思はれ師走に入りぬ

 お隣の韓国は大変な事態に陥っている。大統領の職権を悪用した朴大統領の公私に絡む取り巻きによる数々の不正が発覚し、それに関わった多くが検挙され、容疑が大統領にも及び、国会議員による弾劾の動きにも発展し、大統領の辞任という国家の大問題にまで進展して来た。

  このスキャンダルを反映して大統領の支持率は五パーセントを切るほどに急落し、二十数万人にのぼる(地方を含めると百万人以上に及ぶと言われる)国民的デモが起きるなど、騒動はいよいよエスカレートし、収拾の目途などつかないところにまで来ている。関係者の逮捕とともに、国民の怒りの矛先は朴大統領に向けられ、大統領には辞任が避けられない状況に追い込まれている観がある。

  この状況下、朴大統領から国民に向けてメッセージが発せられ、国会によって決められれば、任期を待たず辞職すると、辞意の旨を示した。押すことも引くこともままならない身動きの取れない大統領には進退を国会に一任する丸投げの策に出たと言えるが、果たして、この大統領の意に対し、韓国は如何なるところにこのスキャンダルの事件を収めて行くことになるのだろうか。

 この声明による大統領の辞意には、辞職をもってことを収め、罪に問われないというところに、このスキャンダル事件の一つの落としどころ、つまり、事件収拾の狙いがあると想像されるが、国民の怒りが辞任というだけで収まるかどうか。ここのところに国民の納得が得られなければ、事態は悲劇を孕む展開も想像される。一つにはデモの過激化が懸念され、一つにはもっと不幸な事態も起き得ること。韓国の風土や政治の歴史を思い巡らせると、この懸念は生じて来る。

                                 

 この深刻なスキャンダル事件が誰に起因して起きたか、それは朴大統領をおいてほかに考えられない。私のような他国の客観的な目からしても、僭越ながらそれが言える。であるからは、当然のこと、韓国の国民には、朴大統領に対する怒りは必然のごとく湧いて来る。こう考えると、このスキャンダル事件における朴大統領の責任は大きく、免れ得ないということが言える。どの程度の罪に問われるかは、後の裁きによるとして、この事態に至って大統領の権威を支える大義というものがなお認められるかどうかである。大統領の権威は固く保証されているとは言え、大義が認められず、信頼が失われた状態に陥れば、所詮、国民に選ばれた身は、国民からの責めは免れず、職を全うすることは出来ないということになる。この点からして、スキャンダルの渦中にある朴大統領には一刻も早い退陣表明が望まれる。

  悲劇的事件が起きない間に、辞任することが韓国にとっても、朴大統領本人にとっても一番の道だと思える。騒動とか戦火とかいうものは長引いてよいことは一つもない。国を思うならば、なおさらのことである。歴史に学ばず、権力を貪る韓国の風土的貧しさが大統領の職権においてまたしても露わになった。このことを反省せずして保身に終始して終わるならば、韓国という国の体質的状況はよくならないということが思われる。

  韓国はこの大統領の絡むスキャンダル事件を契機に、これまでの政治的風土からの脱皮を図ることが望まれる。これは不幸中のチャンスとも言える。一つには現在の五年一期をもってなる大統領制の見直しも議論されるべきところに来ていることがあげられる。一期三年の二期か三期の限度が民主主義の観点や国家運営の都合などとのバランスによいのではないかというようなことが考えられる。歴代大統領が職権に絡む不正によって摘発されている状況は一期五年の仕組みが何らかの影響を及ぼしていると考えられるからである。これは議論してみる必要があろう。以上、他国のことで、あまりとやかくは言えることではないが、収まり難い韓国の騒擾を遠望しながら思うところではある。 写真は朴大統領の辞任を要求して繰り出され街路を埋め尽くしたデモの群集(ソウル市内で、テレビのニュースによる)。

 


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