大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年10月21日 | 写詩・写歌・写俳

<415> 「帰る」ということについて (3)

        人生は かくありこの身を たとふれば ろはにほへと のほの字の辺り

  「帰る」ということが願望の何ものでもないことがわかっていても、こう言われると何かありがたく、嬉しいような気持ちになる。柱時計の針は逆さに回らず、時を返すことなど出来ない話で、昔には決して帰れないが、思い返せば心の中で帰ることは出来る。Y先生は、もしかしたら、現実には帰れないことを承知で、サイン帖の言葉を私たちに贈ってくれたのかも知れない。この言葉を忘れないように、心の中にしまって、いつでも思い出を辿ってふるさとに帰っておいでと、この言葉は言っているようにも受け取れる。

   自づから過ぎて行かねばならぬ身が過ぎしに思ふ故郷の岸

    我をして郷愁人と言はしめよふるさとの山ふるさとの海

  帰り得ぬゆゑに思へり遠き日の少年けんちゃんたっちゃんの声

    夏雲を置きたる屋根は鈍色に静まりてゐる遠くに見えて

                          

 以上が母の亡くなったとき、サイン帖の記憶によって認めた一文とその後に詠んだ反歌的短歌の幾つかであるが、よく考えると、「帰る」には概ね二通りあるのに気づく。一つは時(時間)と所(場所)とを合わせて対象とする「帰る」であり、今一つは所(場所)のみに当てはめて言う場合である。寺山修司が論じているところの「帰る」は前者の方で、その「帰る」には時が大きく作用していることがわかる。時というのは彼が言うように帰ることを許さない私たちにとっては絶対的な障壁で、どうすることも出来ないものである。だが、それゆえに「NATSUKASHINO WAGAYA」なども言われる。私たちは心の中、つまり、懐旧の念によって「帰る」ということを果す。これが時に統べられ、時に身を委ねなければならない生きとし生けるものの生、つまり、人生というものである。

 ところで、この「帰る」という言葉を、最近よく耳にする。それは東日本大震災の被災地におけるもので、被災した人たちが、故郷を離れ、他郷で暮らす中、一日も早く帰りたいと願う気持ちから発っせられる言葉として聞く。そこで言われる「帰る」は先にあげた二つの意味の両方が複雑に絡み合って言われているのが感じられる。しかし、どちらにしても、帰りたいというのが被災者の大半の心情であろうと思われる。

 前述したように、私たちには時という見えない障壁に阻まれて元通りにならない「帰る」ことの出来ない非情がある。例えて言うならば、亡くなった人を現実の世界に生き返らせることは出来ない。だが、このような場合、現実には出来ないけれども、心の中で思いを繋げる。これは出来る。言ってみれば、心の中で「帰る」ということを可能ならしめることが出来る。だから、元に戻らないものは心の中に点し、「帰る」ことが不可能であれば、私たちは思いをもってそこの部分を埋める方法を取る。震災に遭った人たちだけでなく、私たちはみな多少なりともこうして人生を送っていると言える。

  後者の意味における「帰る」ことについては、「帰る」ことを諦めず、望むことが大切であると思う。どんなに厳しくとも、帰りたいという気持ちが強くあれば、「帰る」ことは出来る。願わくは、諦めず、願い続けることである。願うことは望むことであり、望むことは未来に向って行けることだから。

   帰れざるゆゑに思ひは点さるる願はくはみなほのかにともれ

 


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