大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年10月26日 | 写詩・写歌・写俳

<1148> 文体のこと

       文体は個性の発露 血肉に負へると知れる文字の連なり

 今回は文体についての見解。これは私の独断と偏見によるものに違いないが、独断と偏見の中にも当を得て納得されるものもあろうかと思われる。ということで、文体について少し記してみたいと思う次第である。文体には一つに韻文と散文という分け方がある。今回はこの点からアプローチしてみたい。

  『広辞苑』で韻文と散文の定義を見てみると、韻文は、一つに「一定の韻字を句末に用いて声調をととのえた文。歌、詩、賦の類」とあり、今一つには「詩の形式を有する文。すなわち、言語・文字の排列に一定の規律あるもの」とある。これは狭義と広義の意と捉えてよいのであろう。では、散文の定義はどうであろうか。これも『広辞苑』によると、「散」は制限のない意で、平仄、韻脚もしくは字数などの制限のない通常の文章というように捉えられている。

 日本の場合、万葉仮名で書かれた『古事記』を書物の初源と見なすならば、散文に韻文が含まれ、どちらかと言えば、散文に始まっていると言われるが、西洋では韻文に始まっているという。これは用いられている文字の特徴によるところが大きいのであろう。日本の場合、『万葉集』に至って韻文が主で散文が付随のものになっている。『万葉集』は詞華集であるから当然であるが、「五七五七七」の短歌を主にして、この「五七」あるいは「七五」のリズムが日本の言葉にもともと内在されているということが根本にあることが言えそうである。で、ここのところが日本語における文章の重要なところであることが指摘出来る。

 言わば、短歌を主軸にする韻文と散文が混淆的に用いられて来た長い歴史による日本語の言葉には「五七」「七五」のリズムが基本的に含まれ、このリズムで話したり書いたりすることが心地よく安定した形で受け入れられて来たからではないか。象形を基にしている漢字は意味内容をはっきり示すという特徴があるが、漢字を基にして生まれた「てにをは」をはじめとする平仮名は私たちの情緒に働く特徴がある。韻文である和歌の興隆はこの平仮名の発明に負うところが大きく、後に現れる俳句のリズムにも「や」とか「かな」を交えるといった具合で影響している。英語に見られる横文字の外国語は平仮名に似て、韻文に相応しいということが出来る。

                                 

 文体というのは、言葉と同じで、一人の作家の文章ばかり読んでいると、その文体のリズムを得て、自分が何か文章を書くとき、その作家の文体のリズムになって、自分の書く文章も作家の文体に似るようになることがある。だから、自分が物書きになろうというのであれば、いろんな人のいろんな文章を読んで、いろんな文体を取得した上で、自分の文体を築きあげることがよく、個性を出す意味においてこれは非常に重要なことになる。

 日本語(日本の言葉)の成り立ちが、もともと「五七」「七五」のリズムによる点は、三島由紀夫が『文章讀本』で言っている。「われわれはいまや七・五調の文章になじむことはありません。しかし、七・五調の文章の持つ日本語獨特のリズムは、われわれのどこかに巣くつてをります」と。これは西洋の文体(翻訳文)が導入され、文体に革新が起きた明治時代以降においても言えることで、その例として、三島は「注意一秒 怪我一生」という交通安全の標語や「くしゃみ一回 ルル三錠」というコマーシャル、「有楽町で逢いましょう」という歌の題名などをあげている。

 三島が言うところは韻文に無関係な現代文の中にも、無意識のリズムとして短歌や俳句のリズムに見える七五調が影響しているというわけである。琵琶を奏でながら語ることを念頭に置いて七五調を採っている『平家物語』のような軍記物の文体ほどではないにしても現代文の文体にも「五七」「七五」のリズムは自然の内に宿っている。これは前述したように、日本語(日本の言葉)がそのリズムを内在しているからだと言える。

 ここからが独断であるが、このリズムの中にも、二つの系統があって、一つに俳句的「七五」の「五」で終わるリズムと今一つ短歌的「七七」の「七」で終わるリズムの場合が考えられる。このリズムから、俳句を作っている作家と短歌を作っている作家における文体に微妙な違いが感じられるところがうかがえる。例えば、明治の文豪で言えば、夏目漱石と森鷗外がある。俳句を作る漱石は俳句的「五」の文体であり、短歌を作る鷗外は短歌的「七」の文体であると言うことが出来る。俳句的な方は理知的で、短歌的な方は抒情的だと言えそうである。もちろん、一概には言えないけれども、これは大筋のところ当たっているのではないか。

 作家で文体の比較をよくされるセンテンスの長い唯美派の谷崎潤一郎とセンテンスの短い人道主義に立つ白樺派の志賀直哉がある。谷崎は短歌的な抒情質の文体を有し、志賀は俳句的な理知質の文体を有するように思われる。歌人の中でも、五七五七七の七五調がはっきり見て取れる歌人の寺山修司と七五調の破調に特徴が見られる歌人塚本邦雄の文体には明らかな違いが見られ、寺山は短歌的な文体だと言え、塚本は歌人ながら俳句的な文体だと言えるところがある。

 和歌をも嗜んでいた紫式部をはじめとする平安時代の女流たちはみな短歌的文体を有し、時代を下る俳人の松尾芭蕉の文体は俳句的であることが言えるように思われる。このように見て来ると、文体にはその人となりの個性にも関わりがあるように思われるのである。  写真は文体を異にする漱石と鷗外の作品(左)と志賀と谷崎の作品。

 

 


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