大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2011年10月07日 | 写詩・写歌・写俳

<37> 妻の怪我
           湧き上がる 雲とヨットと 貝殻の 夏の海辺の エプロン一つ
  妻が坂道でころび右足の踝の骨に罅が入って、松葉杖を使用しないと歩けなくなった。二人暮らしの我が家にとって妻の怪我はまことに大きな支障で、私にすべてのことがかかって来ることになった。台風十二号の襲来以来、被害の関係で大峰の山々に足を向けることが出来なくなったが、妻の怪我でいよいよ遠出は無理になって来た。そんな思いでいたら、以前に書いた童話が思い出された。少し長いけれどもここで披露してみたいと思う。
                                                                      
 ぼくはお母さんのエプロン姿が好きです。お出かけするときの姿も好きですが、やはり、エプロン姿が一番好きです。なぜかよくわかりませんが、エプロンをつけているときのお母さんはいつもうきうきして見えるので好きなのかも知れません。お母さんがエプロンをつけるときは台所に立つときですから、多分、お母さんは食事を作るのが楽しいのだと思います。とてもうきうきしているときは歌をくちずさみます。何の歌かよくわかりませんが、楽しくなるほど弾んで聞こえることもあります。
 お母さんのエプロンには湧き上がる夏の雲とヨットと貝殻の海辺の絵がプリントされています。お母さんは海がとても好きなので、海辺の絵がプリントされたエプロンをわざわざ探し求めて買ったそうです。お姉さんのエプロンは紋白蝶が菜の花にとまっている絵がプリントされています。ぼくは両方とも好きですが、どちらかと言えばお母さんのエプロンの方が好きです。
 ある日のこと、そのエプロン姿のお母さんが、勝手口のところでぼくが不用意にこぼした水のために滑ってころんでしまいました。腰をしたたかに打ったらしく、骨がどうにかなっているということで、全治二カ月の診断が出て、入院する破目になり、ぼくはお父さんにひどく叱られました。ぼくの家はお父さんとお母さんとお姉さんの四人家族で、お母さんが入院すると、たちまち困った状態になりました。
 食事のことから洗濯、掃除にいたるまで、家のことはお母さんがみんなやっていたので、お母さんがいなくなると、それをみんなお姉さんがやらなくてはならなくなりました。しかし、お姉さんも学校があるので全部は出来ません。それで、お父さんもぼくも手伝いましたが、家の中はだんだん乱雑になり、居心地が悪くなって来ました。お母さんが入院してからお父さんは少し怒りっぽくなったようで、家族の間も何となくぎくしゃくするようになりました。
 いつも陽気なお母さんがあれほどしかめっ面をしたのですから、余程痛かったのだと思います。ぼくは毎日学校の帰りに病院に寄り、お母さんを見舞いました。お母さんは最初寝たきりでしたが、だんだんよくなって、少し起き上がれるようになり、半月ぐらいしてからは何とか歩けるようになりました。
 ある日、お姉さんが「これ飲んでみて」と、自分が作った味噌汁をお母さんのところに持って行きました。お母さんは、差し出された味噌汁を「いいにおい」と言いながら一口飲みました。その途端、お母さんは「おいしいね」と感激して涙声になりました。お姉さんがお母さんの手伝いをしながら、いつの間にか味噌汁の作り方を覚えていたのが嬉しかったのに違いありません。お母さんはぼくの顔を見ると勉強のことばかり言いますが、お姉さんとは家のことをこまごまと話していました。
 お母さんは話がとても上手ですが、入院してからはその話を少しも聞くことが出来なくなりました。ある日、ぼくはお母さんの話が無性に聞きたくなって、お母さんにねだって話を聞くつもりでした。しかし、ベッドに寄りかかっていると、眠くなっていつの間にか眠ってしまいました。
 お母さんは「天使の話をしょうね」と言って、話し始めたのですが、やさしく温かな声のせいか、ぼくは気持ちよくなって夢の世界へ誘われて行きました。夢はお母さんの夢でした。病院のベッドに横たわっている間にお母さんの背中にふんわりとした白い羽が二つ生えて、飛ぶことが出来る夢でした。
 「あらっ」と言ってお母さんは生えた二つの羽を動かしながら宙に浮かび上がりました。そして、そのまま力を込めて二つの羽を自在に動かしながら病室の窓からふわふわと飛び出し、ぼくやお姉さんの名前を呼びながら家まで帰って来ました。「もう大丈夫よ。私には羽があるんだから」とお母さんは自慢するように言ってみんなを驚かせました。
 お父さんはお母さんの後ろに回って羽に触りながら、「病院で作ってもらったのかい」と尋ねました。すると、お母さんは「いいえ、羽は神さまが下さったのよ」と言って、またふわっと飛び上がると、「久しぶりねえ、みんなと食事をするのは」と言って台所に入って行きました。そして、食事の用意をするため、海辺の絵がプリントされたエプロンをつけました。
 それで、ぼくの一番好きなエプロン姿のお母さんを久しぶりに見ることが出来たのですが、お母さんの背中には白い羽が二つ付いていて、それがとても可愛いらしく見え、天使が台所に立っているように思われました。
 ぼくがそんな天使のお母さんに見とれていると、お母さんは「みんなの好きなカレーライスにするね」と言って振り向きました。そのとき、ぼくの目はお母さんの目と合いました。お母さんはにっこりして、「ちょっと痛かったけど、許してあげるわ」と言って、カレーライスの支度に取りかかりました。
  童話は以上。  写真は妻のギプスの右足と病院で借用した松葉杖。足首より上もかなり腫れ、全治一箇月半の診断が出ている。


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