<930> 短歌の歴史的考察 (8) ~<929>よりの続き~
人の世を情けと言へば その昔(かみ)も今も変はらず ある歌ごころ
承久の乱の結果、北条氏の天下になるが、北条氏は関東西部に拠点を置く田舎の豪族に過ぎず、以後は当然のごとく各地に武を競い争う群雄割拠が起き、下剋上による戦国の世へ向かって混乱を来たして行った。そして、武士の支配する封建時代へと世の中は収束して行くのであるが、その前に、古代の短歌黎明期に位置する『万葉集』と、律令体制の安定期、つまり、王朝貴族の全盛時へとその道を辿った仮名文字の発明にともなって平安時代前期に出された初めての勅撰集である『古今和歌集』、それに、武士の台頭によって始まった律令体制の崩壊にともなう公家、貴族の衰退の時代である中世に出された『新古今和歌集』の三つの歌集の歌を比較してみたいと思う。
まずは、共通して出て来る言葉から夏の渡り鳥であるホトトギスを詠んだ歌を見てみたいと思う。ホトトギスは『万葉集』に長、短歌など合わせて百五十三首、『古今和歌集』に四十三首、『新古今和歌集』に四十七首と異様とも思える数の歌に登場している。これはホトトギスが夏を告げる渡りの鳥で、独特の鳴き声によって夏の到来を告げるからで、自然に寄り添って暮らしていた当時の人たちには四季の到来に敏感だったからであろう。姿よりもその鳴き声が注目され、鳥の中では群を抜く登場数を誇るに至った。今も夏になると聞かれる鳴き声であるが、関心の度は低い。では、万葉、古今、新古今の順にホトトギスを詠んだ歌を一首ずつあげて見よう。
暇(いとま)無み来ざりし君に霍公鳥われ斯く恋ふと行きて告げこそ 『 万 葉 集 』 巻 八 ( 1 4 9 8 ) 大伴坂上郎女
ほとゝぎすけさなくこゑにおどろけば君に別れし時にぞ有りける 『古今和歌集』 巻十六 (哀傷歌・849) 紀 貫 之
郭公そのかみ山のたび枕ほのかたらひし空ぞ忘れぬ 『新古今和歌集』 巻十六 (雑歌上・1484) 式子内親王
『万葉集』の坂上郎女の歌は相聞の項に見える恋歌で、「暇がなくて来ないあの方にほととぎすよ私がこんなに恋しく思っていることをあの方のところへ行って告げておくれ」と呼びかけている。この歌は来鳴いているホトトギスを直截的に捉え、自分の心情をホトトギスに吐露し、その心情を素直に表現しているのがうかがえる。もちろん、原文表記では「無暇 不来之 君尒 霍公鳥 吾如此恋常 徃而告社」と万葉仮名を駆使して作られている短歌であることは言うまでもない。
『古今和歌集』の貫之の歌は、平仮名を多用した歌で、当時にあっては新風だったから話題になったろうと思われる。これはまさに我が国独自の文字文化を標榜して出来上がった歌の姿を示す画期的な詞華集であった。歌の内容は死者に対して寄せた悼みの歌であるが、やさしさの滲む、たおやかな感じの歌になっているのがわかる。
『新古今和歌集』の式子内親王の歌は、『源氏物語』の「をち返りえぞ忍ばれぬ郭公ほの語らひし宿の垣根に」の本歌取りであると言われるが、彼女が賀茂(上賀茂・下鴨神社)の斎院(斎王)にしてあったころを懐かしんで詠んでいる歌で、貴族衰退へ移り行く時代背景に重ねて読めば、自ずとその思いを深くする歌であるのがわかる。この点を汲めば、この歌がより象徴性に富む歌であることが言える。
なお、ホトトギスは時鳥、不如帰、杜鵑、子規、杜宇、田鵑、蜀魂など漢字で表記され、異名も見られるが、万葉時代には霍公鳥と記されるケースが多く、古今、新古今時代には郭公と記されるケースが目を引く、また、呼子鳥をホトトギスと見なす説もある。写真はイメージで、書物。
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