<1250> 中東情勢に思う < 一つの提言 > (1)
人間の仕儀一連を思ふべし 争ふことは理不尽を負ふ
これは常々思っていることで、以前にも少し触れたかと思われるが、地球生命を概観すると大体において動物と植物とにわかれ、地球の自然環境の中では動物と植物がバランスされて生存しているのがうかがえる。ただ、人間だけがそのバランスを変容して生きている部分がある。しかし、変容してあっても、そのバランスの中でしか生きて行くことが出来ないことは少しばかり想像してみればわかることである。人間といえども、動物は植物なしには生きて行けない。言い換えれば、私たちの命というものは植物に支えられて保っていられる。ゆえにバランスされていることが言えるわけである。
以上の点を踏まえて、以下に世界の状況というものに触れ、このほどの中東の問題に対し考察してみたいと思う。地球上を空間的にうかがえば、動物と植物、殊に人間と植物の関係において植物の重要性がよくわかる。海には植物が少ないけれども豊富な魚介や動物が生存している。言わば、海は多様な動物を養っていることになるが、これはそれらの動物を養うだけの食物を海が提供しているからである。しかし、その食物は海自体が生み出しているというよりは、陸にある。その根源を辿れば、陸の植物に行き着く。これは生きものの生の連鎖によるということになる。
つまりは、私たちを含む地球生命の生の根源が植物にあることをこの生の連鎖は示していると言え、海で言えば、植物の栄養分が海に及び、その栄養分によってプランクトンなどを生じ、それを大小の魚介類が摂取し、その魚介類を海に生きる動物たちが食べるといった具合で、ここに海に生きる生物の生の連鎖があるわけである。これを地球全体で見れば、地球上の共生の成り立ちを示すものにほかならず、陸上生活者である人間もこの豊かな海に繰り出し、その恩恵に与かっているが、そこには植物が根源のところで関わっていることが言えるわけである。
陸地を見てみると、植物の生育していないところには動物が極めて少なく、いるにしても地球上の自然環境から見れば特異な動物であると言ってよい。砂漠が典型例であるが、人間は他の動物と異なり、その知恵と技能によって砂漠にも進出して活動している。しかし、そこでの生活は非常に厳しくあらねばならない状況が強いられる。それはそこに私たちを養ってくれる植物がないからである。植物は水がなくては育たないので、水の有無が重要な鍵になっていることがわかる。それでも、現代人はそういう動植物の関係性において厳しい自然環境に挑む生活空間を人工的に作り上げている。
それは動物と植物のバランスにおける地球の自然環境から見ると、具合のよいものではないが、人間は知恵と技能によって植物が基になっている食物を外部から調達して賄うことによってそれを克服しているからである。都市生活がまさにその状況にあるが、その調達に不都合が起きれば、そこでの生活は麻痺することになる。大都市東京はそのような不自然な状況にあるので、東京だけで自立して生活して行くことは出来ないのである。言うならば、周辺からの食物の調達によって生活出来ているのである。
少し話が逸れかけたが、この動物と植物の生のバランスという観点から紛争地の中東に目を向けてみると、砂漠や荒野が広がるこの中東地域というのは植物の極めて育ち難いところで、植物を必要とする動物、即ち、人間には極めて住み難い自然環境にあるということが言えるのである。しかしながら、そういう自然環境からして極めて住み難いところにもかかわらず、多くの人々がそこには住みついて生活しているのである。 写真は草木に欠ける中東の原野の風景(テレビ映像による)。 ~ 続く ~
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