<750> 大和寸景 「沢蟹のいる光景」
沢蟹の 濡れゐる水の 清らかな
東大寺二月堂のところ、鬼子神の祠の前、柘榴が植わっている庭の石垣に沿って浅い溝がある。この溝に沢蟹がいるというので、石垣に小さいながら目を引く札が掛けられている。札には、「最近、久しぶりに姿を見せるようになった沢ガ二が野性化したアライグマの被害により再び激減しています。沢ガ二にとっては、この溝が我が家です。見つけても捕獲して持ち帰らないで下さい」と、東大寺二月堂の「お願い」として書いてある。
この札は以前からあったが、沢蟹の姿は見かけなかった。ところが、この度、通りがかりに沢蟹のいるのを見かけた。小さいのと大きいのと、小さいのは今年生れた子蟹であろう。大きいのは棲み処の穴のところで溝に生えた苔を食べているようであった。子蟹は不釣り合いな大きさの実のようなものをどこかに運んでいる。ともに甲羅が水に濡れて艶やかに見えた。で、「やはり、いるんだ」と思い、カメラを出して写真に収めた。
二月堂は十一面観音を本尊とする観音霊場で、欄干を廻らせた舞台があって、この舞台をお水取りの大松明が走ることで知られる。ほかにも観音霊場で欄干を廻らす舞台の設けられているお寺は京都の清水寺と初瀬の長谷寺がよく知られるところで、二月堂と同じく、山の斜面を利用して建てられている特徴がある。で、舞台が設けられているのであるが、舞台の下には水の湧くところがあって、小さな滝のあるのが共通点としてあげることが出来る。有名なのは清水寺の音羽の滝で、延命の御利益があると言われる名水として知られるが、二月堂にも存在する。滝というほどでもないが、芭蕉の「水取りや籠りの僧の沓の音」の句碑の裏手に龍王の滝と名のつく滝がある。
これは山から湧水しているからであるが、地下に水脈があることによる。二月堂では、修二会のお水取りのとき、舞台下方にある閼伽井屋の若狭井から汲み上げる香水を本尊の十一面観音に供えて法要を取り行う。この井に若狭と名がついているのは若狭国(福井県)の遠敷明神に通じる聖水であるという伝説によっている。言わば、二月堂の一帯には地下水脈があって、綺麗な水が湧き出るところということが出来る。
少し話が逸れたが、綺麗な水の環境に棲む沢蟹がいる溝はこの若狭井のすぐ近くで、石垣からいつも清らかな水が滲み出て、絶えず濡れている状態にある。この水によって沢蟹の好物である苔が生え、その上、溝には石垣が連なっているため、その石垣の穴が棲み処になって沢蟹の生存を可能にしている。思えば、この溝が沢蟹に適した環境の生活圏を提供していることになる。
石垣に掛けられた沢蟹保護の呼び掛けをする札を見ていると、沢蟹には平穏に暮らして行ける場所であるが、そこには難敵がいるというわけである。生きものというのは、人間でも同様であるが、住と食が適わなければならない。沢蟹にとって、この二月堂下の溝は、生きて行くうえに必要なこの蟹の住と食の条件を十分に満たしているということになる。
しかし、札は沢蟹にとって難敵がいることを指摘している。それがアライグマだというわけであるが、注意書きをよく読むと、アライグマは注意喚起の道具立てにほかならず、実のところは心ない者、即ち、人間に対して呼びかけていると知れる。言わば、沢蟹にとって一番の難敵はほかならぬ人間であるということになる。「どうか、捕らないでやってほしい」という切なる呼びかけが慈悲深い観音さまの膝元でなされている。で、この効用かどうかはわからないけれど、溝に沢蟹の姿が見られる。このような小さい生きものも、実は私たちの視野の中の大切な生きものである。沢蟹を見ながら思ったことではあった。写真は左から沢蟹の親と子。右端は石垣に掛けられた沢蟹の保護を訴える「お願い」。
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