<751> 大和寸景 「塔と秋空」
ひろびろと 塔の上なる 秋の空 みな見上げゐる 大和のすがた
台風十八号の去った後、気持ちのいい晴天が続いている。この晴天に誘われ、法隆寺界隈を歩いた。日差しは強かったが、周囲に見えるものが、それぞれに秋めいているのが感じられた。稲田は実りの色づきを見せはじめ、道端ではヒガンバナやアキノノゲシなどの花が見られた。
まず、法隆寺へ。境内はいつ来ても広々としているが、今日は秋空が広がり、一層広々として見えた。法隆寺を北東に向い、法輪寺から法起寺へ。途中に墓苑が見られ、この連休は秋の彼岸に当たり、周辺では人影が多く見られた。その墓苑を見ていると、実に過密である。高齢社会になって、都会では火葬が手一杯で、順番待ちになっているという。死んでからも難儀する実情にあるという。そう言えば、生まれるときだって十分ではない。産婦人科が足りなくて、救急搬送出来なかったことがあり、問題になった。
墓苑の過密には限界があるから、墓も個人墓はまかない切れず、累代の合同墓になって来た。もっと極端なのは墓のカプセル化で、寺院がお骨を預かってカプセル様のスペースに収納し、一同に供養するというやり方である。それかと言えば、樹木葬というように木々を植えて墓地を公園化し、その木々の下に散骨するというような形の埋葬も企てられている。
もっと大胆な散骨は海とか空に骨を撒くという方法も考えられている。こうなると、墓の存在自体がなくなることになるが、これは所謂、死後についての考え方に変化が現われて来ている証と言って差し支えなかろう。既に昔の考えとか様式が半ば敬遠されつつあることを裏付けるものと言ってよい。
それは当然のこと、死者を送る様式にもうかがえる話で、一律であった昔のような葬儀告別式の様式にも変化が現われ、ピンからキリまで、多様化していることが言える。つまり、墓地や墓と同様、死者を葬る様式も一律ではなくなったことが言えるようである。
このように、今後は人の死における対応の仕方もいよいよ多様化するであろうことが思われるが、いくら多様化しても、死者にとって死んだ後の落ち着き場所というものは必要であるから、何とかしなくてはならないという気持ちの現れは当然であると思われる。もちろん、落ち着く場所などいらないという御仁もいる。しかし、どこでも散骨してよいというわけにはゆくまいから、そこにはやはり迷いが生じて来ることになる。
後に残る子供たちの手をなるべく煩わすことがないようにというようなことも念頭に置くから、やはりその段の思いというものは生じて来ることになる。殊に、私のような田舎から都会に出て来て郷里を離れて暮らしているものにこの定まらない思いというものが纏っているように思われる。しかし、悩んでいても仕方ないから、過密にせよ、合同にせよ、死んだ先まで思いを巡らせるのは止めて生きるのがよいかも知れない。
墓などというのは、この世の見栄、こだわりだという認識ならば、「こだわらないこころ」で、恬澹と生きて行くのが第一と思われたりもする。どちらにしても、死んだらこの大空の下の大地に帰る。そして、誰もがみんな安らかに眠る。見栄を張らなくてはならないのはこの世の仕儀にほかならない。途中、農家がやっている売店でイチジクを買い、踵を返した。写真は秋の法隆寺。
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