<3787> 余聞 余話「生における出会いの不可思議」
接触は花野の真昼蝶に蝶の我が身に我が身の営みがあり
この世に「おぎゃー」と生まれてこの方、連綿と途切れることのない様々な出会いの展開。これをもって生の趣というのであろう。もちろんのこと、ここでいう出会いは人様のみにあらず、森羅万象のすべてにおけるところ。意識、無意識に関わらず、自分という一個の人間としての外界との接触を意味する。
出会ひとは生の不可思議生きてゐるゆゑの証の今日の一日も 一日(ひとひ)
そして、その出会いによる関わりは、よしにつけ悪しきにつけ、思いとしての自分への影響に及ぶ。そういう生の数多の存在が互いに絡まり合う形によってこの世は成り立ち、この世の生の風景を成している。で、その輻湊する自分を中心にした関係性が、言わば、この世を形作っている。
生は出会ひその連綿の積み重ね出会ひはそして数多に及ぶ
しかし、出会いは、出会わない(出会えない)もののもっと限りもあらず多いことを示していることでもあり、この無限の無知、不明に私たちは憧れとか不安な思いを抱き、また、あきらめを覚えたりする。
春より夏花野の蝶の営みにこの身の思ひ触れて来にけり
ということで、とにかく、生における出会いのことは不可思議で、縁(えにし)などという言葉によったりして辻褄を合わせ、理解しようとしたりする。つまり、生は出会いの連綿なる積み重ねにおいて成り立ち得ているということが言える。 写真は歩きに出かけて見かけたモンキチョウのカップルの姿。(花はヨーロッパ原産の帰化植物で繁茂が著しいナヨクサフジ)。
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