大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2014年02月11日 | 祭り

<892> 廣瀬神社の砂かけ祭り

        どことなく 春めく神の 庭に立つ

 この時期、大和地方では一年の五穀豊穣を願い、予祝の意味を込めて行なわれる御田植え祭が見られる。殊に建国記念日の二月十一日は祝日とあって各地でこの行事が見受けられる。中でも有名なのは北葛城郡河合町の廣瀬神社(廣瀬大社)に伝わる砂かけ祭りである。

 廣瀬神社は大和平野の中央を東西に流れる大和川と支流の飛鳥川や曽我川が合流する地に位置する神社で、『日本書紀』によれば、天武天皇四年(六七五年)四月十日の条に、天皇が風の神を龍田の立野に祠(まつ)らしめ、大忌神(おほいみのかみ)を広瀬の河曲(かはわ)に祭らせたとあり、その後、行なわれるようになった大忌祭が御田植え祭の砂かけ祭りであるという。

     

  前述したように、廣瀬神社の辺り一帯は河川の合流地点に当たり、低地が広がるところで、洪水が頻繁に起き、一方では、降水量の少ない気侯帯に当たるため、川の流域が短いこともあって旱魃も頻繁に起きた。ということで、この地では「水浸(つ)き一番 日焼け一番 嫁にやっても荷はやるな」というほどであったと言われ、洪水や旱魃の自然災害に悩まされて来たところであるという。

  この言い伝えは、洪水も旱魃もよくあるところで、嫁にやっても嫁入り道具の荷物は持って行かせるなという意味であるという。現在は河川改修などが行き届き、どちらも見られなくなったが、一昔前まではよく見られたのであった。殊に、日照りによる旱魃には悩まされたようで、河合町の隣の川西町の神社には江戸時代の雨乞い踊りの大絵馬が残されているほどである。

  龍田の風神は風水害から人々の暮らしを守り、広瀬の水神は恵みの雨をもたらし、豊作の願いを叶えてくれるという。で、天武天皇は、大和平野の安寧を願って大和川の両岸にこの二神を祀らせたのである。この廣瀬神社の祭りが砂かけ祭りで、砂がかけられるようになったのはいつごろかはっきりしないようであるが、砂には恵みの雨が表わされ、かけられる砂が多ければ多いほど豊作になると言われ、広く知られるところとなり、大和の奇祭の一つに数えられるに至った。

  祭りは、午前十一時から「殿上の儀」が行なわれ、拝殿において田人や牛役による御田植えの所作が披露され、午後二時から「庭上の儀」の砂かけ祭りが行なわれた。砂かけは注連を廻らせた砂場に田人や牛役が現われ、参拝者らと砂をかけ合うもので、何回も繰り返され、広い境内は超満員になった。田人も牛役も誰彼となく砂をかけて回るので中には逃げ惑う参拝者も見られた。今日は絶好の祭り日和になり、砂も一段と多く飛び交ったように見えた。写真は砂かけ祭りの模様と牛の面を被った牛役。