Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

強く生きる

2022年11月14日 | Weblog

真っ直ぐ正直に生きることが強さの証であるとわかるのは、随分と歳をとってからなのかもしれません。

しかし、若い頃に誤魔化すことが楽だという感覚が身についてしまったら、歳をとってからも、そのことに気づくことすらできないと思います。

誤魔化すことを覚えてしまえば、本当に大切なもの、価値あるものは、何一つ手に入らないのです。

要領よく生きることは、本物になる道ではなく、「本物の偽物」になることを目指す道でしかありません。

人生は常に戦いだと思います。

そして、それは他者との戦いではなく、常に弱い自分との戦いなのです。

もっと強く生きていきたいと思います。

 

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萩往還を歩く②

2022年11月13日 | Weblog

それにして、今年の萩往還は、素晴らしいコンディションに恵まれました。

木漏れ日も美しく、空気が澄んでいて、素晴らしかったです。

おかげで順調に皆様と歩くことが出来ました。

次の日、修了式が終わり、東京に入り、

今日は新江ノ島水族館(えのすい)に企業訪問にお邪魔しました。

本当に学び多き素晴らしい時間でした。

ありがとうございました。

私に休日などありませんが、毎日が休日のように楽しく仕事をしています。

春には、連続2回の萩往還研修が待っています。

でも、研修としては、中一日あっての、三日間の研修を2回ですから、歩くことだけに関して言えば、正味、中三日あります。回復には十分な日程です。(たぶん 笑)

かつて、中一日で30㎞を2回、歩いてみたら歩けたので、その時、「ふ~ん。歩けるんだ。」と思いました。

江戸まで、東北まで、毎日、歩いて行った先人に較べれば、実に微々たる事でしかありませんが、頑張ります。

 

 

 

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萩往還を歩く

2022年11月13日 | Weblog

新入社員のフォローアップ研修が終わりました。

萩往還30㎞を歩くのが、この研修の締めくくりです。

お伝えしたいことは、一貫して、「志の大切さ」と「学び方を変える事の大切さ」です。

これは、なかなか伝わりにくいことです。

しかし、これほど本質的で大切なことはありません。

私はこれからも懸命にこの二つのことを伝え続けますし、その大切さを、自分の人生を通して証明していきたいと思っています。

共に学んでくださった皆さん。

いつでも私はここにいます。

人生に迷ったら声をかけてください。

萩往還を共に歩いた記憶はずっと残っていきます。

ありがとうございました。

感謝。

 

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美しくないということ

2022年11月09日 | Weblog

私は、「美しいかどうか」を一つの判断基準にしています。

では、「美しくない」とはどういうことか。

それを考えたときに、ふと、「浅ましい」という言葉が思い浮かびました。

浅ましいとは、

1 品性が卑しい。さもしい。下劣だ。「―・い了見」「―・い根性」

2 見苦しく情けない。嘆かわしい。「―・い世の中」

といった意味があります。

実に幅広く深い言葉ですが、

「美しくない」ということと、概ね合致しているように感じます。

私が「美しくない」と感じることは、そういうことだったのかと改めて思いました。

そして、それは、小さな私利私欲が透けて見えるときに、そう感じるのだろうとも思いました。

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皆既月食に思う

2022年11月08日 | Weblog

皆既月食を見ていて、思ったのは、

ただその不思議さと美しさに心奪われた人もいれば、

その仕組みを論理的に解き明かしたいと思った人もいるのだろうということです。

どちらが正しいということも、どちらが価値があるということもありません。

どちらも素晴らしいと思います。

前者は、後世に詩を残し、

後者は、後世に科学的真実を残したのだろうと思います。

どちらも価値のあることです。

 

 

 

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どうでもいいけど

2022年11月07日 | Weblog

自分たちの祖先のことを知ろうともしない若者たちのあふれる国に明るい未来があるとは思えません。

なぜなら感謝心や敬意など、人としての温かい心も、ふるさとや国という共同体を愛する心も育たないからです。

過去への感謝は未来への責任感を生み出します。

しかし、そんな過去を知るよりも、ゲームをしていた方が快適で楽しいことなのです。

戦闘ゲームで自分が無傷で相手を殺す快楽は知っていても、痛み傷つく苦しみを伴う生身の戦いについては知りたくもない。

かつては、色々な家に、軍服姿の凜々しい若者たちの遺影が飾られていました。そうした1枚の写真でも、色々な想像をかき立てられるものです。

しかし、コンピュータグラフィックスの表現に、様々な人生の背景や陰影はありません。

なんだか、もう、取り返しの付かないところまで、来てしまったような気もします。

少しは何とかしたいとも思いますが、無駄なことなのかもしれません。

情の繋がりと共にしか教えられぬ事、つまり、家庭でしか教えられぬ事を、私如きに肩代わりできるはずがないのですから。

ただ、虚しくても私は教育における戦いを続けると決めています。

 

 

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仏作って魂入れず

2022年11月07日 | Weblog

教育は、イベントではないし、仕組みづくりでもありません。

「仏作って魂入れず」という言葉は、言い古された言葉ですが、仏像の如くに、有り難そうな、様々な教育のかちたと仕組みを作ってはいるけれども、そこに本当に魂を込めようするのは、中途半端なことでやれるものではないと感じています。

私は大した人間ではなく、大したこともやれてはいないので、偉そうなことは何一つ言えないのですが、それでも今、感じていることは、大局を見据えていない具体的教育実践も、大局しか見ずに眼前の子どもたちの心の動きを見ない教育も、どこか虚ろだということです。

人が人を育てるというのは、魂を込めて、血の通った交流を生み出すところからしか始まらないのだと私は思います。

人間が人間をデータとしてしか見られなくなった時代に、血の通った人間教育を目指せば、自ずと孤独な道を歩むことになります。

他人様から、「無駄が多い。徒労だ。」と思われるようなことを、厭わず愚直にやり続けるには覚悟が必要です。

ただし、教育への思いも、「正しい教育観の私が、間違った教育観のみんなをただしてやろう」などという傲慢な気持ちを少しでも持てば、瞬時に教育力は失われていくしかないものだと思います。

その怖さに私は敏感であり続けたいと思います。そして、それを怖れるが故に、学び続ける人間でありたいと思っています。

そのことで、私は、一人で、一歩一歩、道を踏みしめながら歩いて行くことになるのかもしれませんが、それもまた仕方のないことだと思います。

 

 

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ブログ開設5700日

2022年11月02日 | Weblog

今日でブログを開設して5700日が経ちました。

15年以上が経過したと思うと感慨深いものがあります。

過去は振り返っていないので、よくわからないのですが、

きっと色々と可笑しな事も書いていたと思います(笑)。

私の独り言のようなブログにお付き合いいただいた皆様、

本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。

どうもFacebookやTwitterよりも、

ひっそりと落ち着いて書けるブログが、

私には向いているのかもしれません。

でも、反応いただけたら嬉しいですね。

これからもよろしくお願い致します。

 

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