Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

花を慈しむ心

2019年02月07日 | Weblog
「校庭内の木々が
子どもが生きているのとは
別のところで生きているということが、
私は寂しい。

泰山木に大輪の花が咲いても、
子どもたちは素知らぬ顔をしている。

姫クチナシの花が芳香を放っていても、
子どもたちは素知らぬ顔でそれを引きむしる。

白鳥花がこまかい花をつけても、
タチバナモドキが実を結んでも、
子どもたちは全然目を向けようとしない。

木も不幸、
子どもも不幸だと思う。」


教育界の国宝と呼ばれた、
東井義雄先生の言葉です。

やはり「情緒」が、
教育には大切なのだと思います。

この言葉に触れて、
何も感じないような感性では、
深い教育などできないのだろうと思います。

小さな命の愛おしさ、
美しさに目を向ける心を失って、
人としての幸せなどないのかもしれません。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術

2019年02月07日 | Weblog
私が芸術家を尊敬して止まぬのは、
一瞬の中に永遠を表現するからだ。

それは生半の観察眼や、
表現力では絶対に為し得ないことだ。

一瞬の中にある永遠の美は時空を超える。

その精神の凄まじさに私は憧れる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迂遠な人~下村湖人の言葉~

2019年02月07日 | Weblog
「混乱した時代では、
とかく道徳人は迂遠だというそしりを受ける。

しかし、そうした迂遠な人たちが
一人でも多くなれば、

それだけその人たちは
迂遠でなくなるであろう。

そしてそうなって行くことだけが、
真に時代の混乱を救う道であり、

それ以外の道は、
所詮一時の誤魔化しに過ぎないのではあるまいか。」


手っ取り早く世間に名を売り、
耳目を集めて
社会的影響力を持ちたいという考えは、
わからなくはありません。

しかし、
私は下村湖人のこの言葉の中にこそ、
正しき道があるように思います。

バッカーズ寺子屋と言い、
志の教育と言い、

大河の一滴のような、
ハチドリの一滴のような、
迂遠な試みではあります。

しかし、
この道をひたすらに、
歩いて行こうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする