風蕭蕭として易水寒し
壮士ひとたび去ってまた還らず。
刺客荊軻は死を覚悟していた。
目の前で自分の首を刎ねた、
田光と樊於期の思いを背負っていたからであり、
腰抜けの秦舞陽一人では、
秦の始皇帝を屠る刺客としては心許ないが、
もはや行くしかない状況にあったからだ。
心強い友は、まだ、たどり着かない。
だが、刺客としては、一人行くしかない状況だ。
だから、必敗の戦いを戦い、死にに行った。
そして、殺された。
横山大観は、死の3年前に、
「風蕭々として易水寒し」という題で、最期の絵を描いた。
大観の胸に去来した思いは何であったのだろう。
日本画壇と対決し、
師岡倉天心共々、画壇を追われ、
そして、それに立ち向かった不屈の人生であった。
風蕭々としての詩は、哀しみに満ちている。
だが、決意にも満ちている。
ゼロに近いが、そのゼロの山の中に、
なお勝利への可能性を見ようとする強靱な意志の力と、
凄まじいまでの気迫とが感じられる詩だ。
そして、諦念と悟りの境地の香りもする。
それは一種の美学のようなものだ。
私もこの詩が好きだ。
そして、大観が好きだ。
無論、荊軻の悲しみもよくわかる。
こうしたことが、わかるかどうかが、
私にとっては、大切なことなのだと思う。
壮士ひとたび去ってまた還らず。
刺客荊軻は死を覚悟していた。
目の前で自分の首を刎ねた、
田光と樊於期の思いを背負っていたからであり、
腰抜けの秦舞陽一人では、
秦の始皇帝を屠る刺客としては心許ないが、
もはや行くしかない状況にあったからだ。
心強い友は、まだ、たどり着かない。
だが、刺客としては、一人行くしかない状況だ。
だから、必敗の戦いを戦い、死にに行った。
そして、殺された。
横山大観は、死の3年前に、
「風蕭々として易水寒し」という題で、最期の絵を描いた。
大観の胸に去来した思いは何であったのだろう。
日本画壇と対決し、
師岡倉天心共々、画壇を追われ、
そして、それに立ち向かった不屈の人生であった。
風蕭々としての詩は、哀しみに満ちている。
だが、決意にも満ちている。
ゼロに近いが、そのゼロの山の中に、
なお勝利への可能性を見ようとする強靱な意志の力と、
凄まじいまでの気迫とが感じられる詩だ。
そして、諦念と悟りの境地の香りもする。
それは一種の美学のようなものだ。
私もこの詩が好きだ。
そして、大観が好きだ。
無論、荊軻の悲しみもよくわかる。
こうしたことが、わかるかどうかが、
私にとっては、大切なことなのだと思う。