Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

異論と人間関係は別

2015年09月18日 | Weblog
異論はロジカルに、

そして、

「人間関係」と「視点・思考の違い」は

まったく別問題と心得る。

そうでありたいと思います。


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わからぬこと

2015年09月18日 | Weblog
社会において、
何が正しいかということは、
なかなか分からないものです。

政治や宗教に対してのコメントも、
私は門外漢であるので、
触れぬようにしていましたが、
それでも、昨今の混乱を見るに付け、
できるかぎり教育という視点から
触れてみようと思いましたが、
それでもなかなか意見の相違は出てくるもので、
難しいなぁと思いました。

コメントもいただきました。ありがとうございました。
(文字化けしていて後半が読めなかったのですが・・・)

とにかく平和であるこの国を大切にしたいという思いは
同じだと言うことはわかるのです。

しかし、国際社会の力学や、
その歴史や、今進行している沢山のことは、
私にはわからないことが多過ぎるのです。

だからといって、私の情報量が、
普通の人より少ないとも思えないのです。

やはり、
「託す」ということになるのだと思いますが、

もっともっと学ばなくてはならないし、
論理的に考えていくことが大切だと改めて思いました。

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俗世にまみれて

2015年09月17日 | Weblog
「書でも絵でも料理でも、

結局そこに出現するものは、
作者の姿であり、

善かれ悪しかれ、
自分というものが出てくるのであります。

一度このことに思い至ると、

例えばどんなことでも、
他人任せということはできなくなります。

全くほんとうのことが判って来ると、
恐ろしくて与太はできないのであります。」

         -北大路魯山人の言葉-



政治も教育も同じことだと思います。

政治家も教育者も、
こうした言葉に触れて、

襟を正すというか、
居ずまいを正すようなことが必要なのだと思います。

「真・善・美」という言葉を死語にしてはならぬと、
肝に銘じて学び続けようと思います。

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小1に何度も蹴られて通院する教師

2015年09月17日 | Weblog
文部科学省の調査によれば、
暴力行為などの低年齢化が進んでいるそうだ。

「小1に何度も蹴られ、教師が通院」
「登校中に注意された児童が通行人に暴行」
という事例が挙げられ、

「家庭環境が影響し、規範意識に乏しい子どもや
自分の感情を抑えきれない子どもが増えている」
というコメントがついていた。

「躾は押しつけ」などと言って、
子供の頃に「人間性」を教えぬから、
子供は「獣性」をすくすくと伸ばしていく。

人間は、獣の如き部分と神の如き部分とを併せ持つ。

人としての教育が与えられなければ、
獣性が伸びていくだけだ。

誤った教育論が教師たちに与えられ、
全国に広がっていき、
それが3世代ほど続けば、
見事に社会は混乱する。

現実にそうなりつつある。

知識を詰め込む勉強や、
勝利至上主義のスポーツに時間を費やし、
心を育む学びを削ってきたのだから、

当然、人間性は欠落していく。

原因と結果はきちんと対応している。
不思議でも何でも無い。

この国の行く末が心配だ。

ささやかなことしか私にはできないが、
全力で立ち向かっていくしかない。

蟷螂の斧に過ぎないし、
田作の歯ぎしりに過ぎないとは知りつつも。
である。



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子供がしたらどう言う?

2015年09月17日 | Weblog
国会での委員会質疑開始を妨害するために、
野党は女性議員を理事会室前のドアに多数配置し、

排除しようとすると、
「触るな!セクハラだ!」などと言い、
「女の壁」で委員長を室内に監禁して、
質疑開始を妨害しているという。

児戯に等しい。という表現では表せない。
そこに、卑怯さや陰険さや狡さが感じられるからだ。

この件にしても、
牛歩戦術にせよ、
投票のボイコットにせよ、

仮に妨害している人たちが学校の先生だとして、
学校で生徒たちが同じことをしたら、
どう指導するのだろうか?

生徒総会で生徒が牛歩戦術をして、
教員と生徒全員の帰りが遅くなれば、

勤務時間がどうのこうのとか、
ほかの生徒たちの人権が侵害されるとか、
はやく終わらないと下校時の安全管理がどうだとか、
言い募るに決まっている。

そんなことすら分からぬ人たちに、
この国の何を託そうというのだろうか。










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シンプルに

2015年09月16日 | Weblog
詳しいことは知らぬが、

シンプルに考えると、
安保法制化は憲法違反だと思う。

だが、その意図と趣旨は理解できる。

日本さえ平和で、
自分たちさえ良ければ、

他の国の苦難など
知ったこっちゃないというのでは、
通用しない時代になったということだ。

日本の国際社会の中での立ち位置も変わってきた。

だから、憲法を変えれば良いと思う。

法律などというものは、
人間が幸せになるために作ったものである。

時代は変化しているのだから、
変えたら良い。

不磨の大典などあり得ないだろう。

それだけの話だと思う。

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安保問題に思う

2015年09月16日 | Weblog
安保法制化を巡って思うことは、
考えることをせずものを言う人たちの多さであり、
思い込みによってものを言う人たちの多さである。
ご都合主義でものを言う人たちの多さである。

私には戦争をしたくて仕方が無い政治家など、
今の日本にはいないと思う。

戦争はなぜ起こるかと言えば、
領土的野心で有り、他民族への支配欲である。

今、その野心を持ち、準備をしている国は日本ではない。
その準備を本気でしている政治家もいない。

また、戦後のどさくさに紛れて
他国の領土を掠め取ったのも日本ではない。

歴史とは、弱い国が蹂躙された歴史でもあり、
弱肉強食の物語でもある。

だから、道義を広めていかなければならいし、
国の力を高めなければならない。

軍備はその一つに過ぎず、
使わないための力でもある。

これは、
個人レベルでも、
体が大きく、
武道を習っている者が、
なかなかいじめられないのと同じような理屈だ。

様々なことが、
シンプルに考えられず、
なにかすごく屈折して
ものを見ているように思えてならない。

たとえば、
オスプレイ配備への反対運動にしても、

シンプルに考えれば、
あれはアメリカ軍という友軍=仲間が、
武力を増強したという話である。

仲間が武力を増強してくれたら、
心強く思うというのが普通の感情ではないのか。

友軍が強くなることを喜ばないのは、
どう考えても敵国の人間しかいない。


今朝、ニュースを見て驚いたのは、
「国会の中だけで、
 国会議員の数の横暴によって決めることは許されない」
そんなな趣旨のことを野党の国会議員が
大まじめに言っていたことだ。

議員は国民の投票で信任を得て、
国民の代表として国会に出てきている。

国会が国民の声を反映しないと言い募るのは、
民主主義の否定でしかない。

与党だった時には、
「国民の信任を得られた」と
喜色満面に語っていたのは、
いったい何だったのだろうか。

自分が勝ったときには、
国民の信託を得られたと言い、

自分が負けたときには、
国会議員の数の横暴と言うのは、

実に一貫性も整合性もなく、
あまりにご都合主義としか言いようが無い。

若者たちも、
戦後、暗記ばかりの教育が横行したため、
ものを考える力がきわめて弱くなっているのではないか。

だから、ムードや情報操作にきわめて弱い。

自分で情報を集め、
自分で分析し、
自分でその意味を考え、
自分の考えを持つように教育を変えていかなければならない。

論理的思考を忘れ、
熟慮し判断する訓練がなされておらず、

経験のある者や、
その道に精通した者に対する敬意を失い、

熱に浮かされたようにムードで走って行く。

その先にこそ、
戦争や社会の混乱は待っている。

私にはそのことの方が心配だ。


















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古典を読む

2015年09月15日 | Weblog
現実の煩わしい問題は日々発生していくものです。

その時に、
古典を読んでいると、
腹が据わって、
冷静に対処できるように思います。

昔から人間は人間なのです。

古典は人間というものが、
いかなる存在であるかを気づかせ、
また、深く考えさせてくれます。

読んでいるか否かで、
見ている世界は、
全く違うものになるのだろうと思います。

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2015年09月14日 | Weblog
「子曰く、人の己を知らざることを患えず、
 人を知らざることを患うなり。」

「孔子が言った。

 他人がこちらの価値を知ってくれなくとも、
 気にかける必要は無い。

 それよりも、

 自分が他人の真価を認めないことを、
 心すべきである。」


価値でなくとも、
真意や真心にしても、
なかなか伝わらないものだと思います。

それは、
自分の人生を通して作ってきた、
フィルターを通してしか、
人は物を見ることができないからに他なりません。
もちろん、私もそうです。

思い通じぬ時に、
心励まされるのは、

やはり、こうした珠玉の言葉によってだと思います。

私は、心を込めて、
より良い教育実践を生み出し続けていきます。
私にとって大切なことはそれだけです。



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魯山人の言葉

2015年09月12日 | Weblog
陶器だけで美はわからぬ。

あらゆるものの美を知って、
それを通して陶器の美もわかる。

そして本当に分かるということは、
本当にそのものに惚れることである。

      -北大路魯山人の言葉-


この言葉は、あらゆることに通じると思います。

教師だからといって、
教育だけやっていてもダメなのです。

あらゆるものを通して、
人間を学ばなければならないと思います。

様々な人間が、様々に生き、
お子さんを産み、育てられているのですから、
人間が分からずして教育はできません。

そして、

心から子供たちを愛し、
心から親たちを愛し、
心から日本の未来を愛していなければ、

伝えられることなどたかがしれていると思います。
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