Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

2014年02月16日 | Weblog

本物のワインに、熟成の時が必要なように、
教育にも、時が必要だと私は思います。

短期間での成果を謳う教育には、

やはりどこかに、
時間をかけて熟成されたものとは違う
何かが含まれているのだと思います。

それを悪いと言うつもりはありません。
人々がそれ求めるのであれば、
それもまた良しなのです。

ただ、私の追い求める教育の世界とは違います。

自らの力で、心から気づき、心から感じ取って、
自分の道を歩み始めることにのみ、
私は価値を見出します。

だから、
私の語ったことなど、どうでも良いのです。
そこに大した価値はありません。

ただ、それを受け止めて下さった人たちが、
ふと何かのきっかけを得て、

志高く、自分の道を歩き始めて下さったら、
これほど素晴らしいことはありません。

志の教育は、
何度も繰り返してお伝えしていく中で、
みなさんが感じ取り、気づいていくものなのです。
つまり、自分で掴み取っていくものなのです。

そのことが最も大切なことなのだと私は思います。

与えられたものに価値があるのではないのです。
与えられたものを一つのきっかけとして、
自ら行動を起こし始めることに大きな価値があるのです。

人を育て、人を活かし切るのが教育ですから、
教育者などその人の記憶の片隅にすら残らなくて良いのです。

ただ、一瞬一瞬の時間において、
心を込めて、皆さんと向き合っていこうと思います。

そのことだけが、
どっしりと根を張った、
志高き人間を育てていくのだと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年02月16日 | Weblog

今日は、羽田への飛行機が欠航になりました。

そこで、新幹線を使って、5時間かけて東京へ。

東京へ向かう新幹線の中では、
福岡雙葉高校二年生の
「志の教育」の感想レポートを読みながら、
ただただ、深い感動を覚えていました。

心が震えて、涙が溢れてきて、
他の乗客に不審がられはしないかと冷や冷やしつつも、
貪るようにレポートを読んでいました。

2年間の時間の中で、
皆さんは、凄まじいまでの成長を遂げられていました。

「凄まじい」とは、何とも乱暴な表現ですが、
そう形容したくなる思いをとどめることができないほどに、
皆さんのまっすぐな心が伝わってきたのです。

これほど価値のあることはありません。

悩み、苦しみつつも、
しっかりと顔を上げ、
誠実に自分自身と向き合う、
素晴らしい皆さんの魂が伝わってきました。

どのレポートも、どのレポートもそうでした。

それは私にとって大きな驚きであり、大きな喜びでした。

素晴らしい生徒の皆さんとの出会いに感謝!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志の教育

2014年02月14日 | Weblog

福岡雙葉学園での「志の教育」、
2年目が終わりました。

レポートを読ませていただいていると、
一人一人の生徒が、
自分と真剣に向き合い始め、
苦悩し、葛藤しつつも、
人として大きく成長されていることを感じます。

心から素晴らしいと思います。

みなさんありがとうございました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共に学ぶ手応え

2014年02月09日 | Weblog
若手の先生方を対象とした研修、
バッカーズ九州寺子屋の講座と、
全力で走った2日間でした。

「自分が人生の中で学び得てきたことを、
 本当に大切だと信ずることを、
 次の世代に伝えておきたい。」

若い頃には無かった感覚です。

しかし、今、私には、切迫感にも似た思いがあります。

年をとったからでしょうか。
時代の変化のスピードの速さのせいでしょうか。

とにかく切迫感があります。

そして、みなさんが確かに、
素晴らしく成長していることを感じます。

本当に嬉しいことです。

一人一人の若者たち、子供たちが、
主体性を持ち、
自分の力で伸びていこうとしていることを
すごく実感しています。

全力で走り続けようと思います。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研修を創る

2014年02月07日 | Weblog
一つ一つ、力のある学びの場所を創りたい。
それが、私たちの願いです。

であるならば、
そのためには、
学び続けなければならない。

それは当たり前のこと。

そんな当たり前のことが、
若い頃には、
なかなかわからないものです。

さらに良くないのは、
わかった気になってしまうということです。

道が開けないということは、
努力が足りないだけ。

そのことを痛感します。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物の見方について

2014年02月06日 | Weblog
人は、自分というフィルターを通して物を見ている。

だから、自分の中に無い物は、
他人の中に見出すことはできない。

他人が卑しいというならば、
卑しさとはどのようなものかを知っている
自分の理解の幅において
それを相手の中に見ているに過ぎない。

だから、
私は陰口や告げ口を好まない。
作為による言動も好まない。

そうした価値観を自分の心の中に
養っておきたくはないからだ。

知らず、そうした価値観に
心を乗っ取られてしまう人は多いものだ。

しかし、自分がそうした状況に陥っていると気づく人は少ない。
私もその一人かもしれない。

それを防ぐためには、
もう一人の自分を持つことだ。

陰口や告げ口をしている
自分の顔を思い浮かべてみることだ。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治よりも教育

2014年02月05日 | Weblog
社会をより良いものに変革したいという思いは、
時として人々を政治に駆り立てていきます。

民主主義の国家であれば、
「民」の考え方や生き方が、
そのまま「国」に反映されることになります。

であるならば、

「民」のレベルが低ければ、
「政治」のレベルも低く、
「国」のレベルも低い。

これが道理だと私は考えます。

だから、本当に国をより良いものにしたいのなら、
政治的権力を握るのでは無く、

一人一人の「民」と共にあって、
その価値観を磨く教育に力を注ぐことこそが
大切なのだと私は思います。

だから、
まずは私自身が、
一心不乱に自分を磨かなければならないのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間修行

2014年02月03日 | Weblog
「うそごまかしをしない。誰が見ていなくともお天道様が見ている」
という行動規範は、本当に大切だと思います。
特に、信頼を勝ち取るためには不可欠と言って良い大切なものです。

人は思っている以上に他人を見ているものです。
ちょっとした誤魔化しや嘘が、
その人の価値を一瞬で貶めていきます。

自分ではちょっとした得をしたつもりなのですが、
全体としてみれば、大きな損失を出しているのです。

なぜなら、信用ほど大きな価値のものはないからです。

人はなかなかそのことに気がつきません。

「ちょっとぐらいはだいじょうぶ」
「誰も見ていないからだいじょうぶ」

その考えは、浅はかと言うしかないものです。

そんな大人が増えた社会は実に貧しいものだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする