Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

萩往還を歩いて

2007年10月14日 | Weblog

ブログを読んで下さっている皆さま、
更新がすっかり遅くなって申し訳ありませんでした。

慌ただしさについつい・・・。
まだまだ修行が足りませんね。

10月6日~8日で行った「萩往還を歩く」研修は、
おかげさまで素晴らしいものになりました。

参加された皆さん一人一人が、
本当に大切な「気づき」を得られていました。

例えば、
自分の表情や話し方が周囲にどれだけ影響を与えているかに気づいたり、
人の笑顔や励ましの言葉の有り難さに気づいたり、
志を立てることの大切さに気づいたり、
また、歴史とは生きた人間の足跡であることに気づいたり…。
中学二年生から大人まで、
参加された皆様から様々な言葉をいただきました。

本当に研修を主催している私も予期せぬような、
様々な気づきが、なぜかこの研修では生まれていきます。

「夕食・懇親会の席でも多くの感動と気づきをいただき、
ここまで深い事業なんだと改めて実感させられました。」
・・・参加された方からいただいたコメントは、
一つ一つがとても嬉しいものでした。
もう、最高です!!

このハード&ディープな「萩往還を歩く」研修は、
今は、バッカーズ寺子屋のプログラムとして実施しているので、
年に二回歩くのは、私には少々、いや、かなりきついのです。

今年は、松下村塾開塾150周年だから
大人向けにやったところもあるのですが、

・・・やはり、来年も実施すべきかな???


コメント (2)
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学校で

2007年10月04日 | Weblog

巡り合わせとは恐ろしいもので、
離れたはずの「学校」という世界で、
昨年から再び教える機会を得ている。

一年間期間限定の予定であったのだが、
乗りかかった船で、今年も教えることになってしまった。
しかも、受験生を・・・。

教えていて思うことは、
活動のフィールドがどれだけ変化しようとも、
語る相手がどんな人であろうとも、
私はあらゆるところで、志の教育について、
同じように語り続けるだけだということである。

どこにいても自分の志を見失うことなく、
私が私のままでいられるという僥倖に、
私は深い喜びを抱くと同時に、
深い感謝の念を禁じ得ない。

ただひたすらに、全身全霊で、
私は相手と共に学んでいきたい。
ただ、それだけである。



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教育政策の落とし穴(V&Eメールマガジンより転載)

2007年10月01日 | Weblog

あるところに、夜回り先生という素晴らしい先生がいた。
その評判を聞きつけて、「それは素晴らしい、その人の話を聞いて、
是非、学ぼう」と教育者たちは口々にほめそやした。
ある日、教育長が、「それは素晴らしい先生だ。みんなが夜回り
先生みたいになれたら教育界は素晴らしくなるに違いない。
…ということで教育制度の設計をしてみよう。」と言い出して、
まず、「夜回り研修会」を開き、夜回りの方法について研究し、
マニュアル化を進めた。マニュアルに基づいた制度導入後、
しばらくは善意で夜回り活動は続けられたが、教員の不満は大きく、
議会でも「いや、善意ではなかなかこういうことは続かない。
夜回りをしている先生は大変なんだから、平等にみんなに
「夜回り手当」を付けようではないか」という話になった。
また、熱心にやっている先生には、ちゃんとしかるべく処遇を
しないといけないだろうという話にもなった。
そこで、ちょっとうまくやれた先生は、「夜回り主任」にとりたて
られると同時に、「夜回り主任手当」もつくようになった。
そのうち知恵者があらわれて、「いや、みんなで夜回りするのも
大変だから、「夜回り当番の制度」を作って、一人が週に一日だけ
夜回りすればよいようにしようではないか」ということが提案さ
れた。かくして、みんなが平等に夜回りをし、手当もきちんと支
給され、教員からの不満は次第に減っていった。

… しかし、「夜回り」で救われる子どもは誰一人としていなく
なってしまった。

教育政策を考えていく上でいくつかの思考の落とし穴に陥ることがある。
その最たるものが、善意によって「例外を一般化する」ことに血道を
あげてしまうことである。
夜回り先生ならずとも、ヤンキー先生だって、高校生をヤンキーに育て
て改心させて教師にしたからといって、立派な先生になれるものでもあ
るまい。「人間が人間に影響を与えていくことが教育である」というこ
との意味を、教育に携わる者は深く考えなければならないと私は思う。
ビジネスの世界での成功手法が教育界でもてはやされているが、私は、
三分の二はあてはまっても、三分の一は違うと思っている。
どうすれば優れた教師は育つのか、それは非常に難しい問題である。
ただ、原理原則は普遍的なものでシンプルだと言うことが少しずつ見え
始めてきた。これから私は私なりに、それをカタチにしていきたい。
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