教育は「言葉と行動」である。
そう言い続けていますし、
そう確信しています。
問題は、
「言葉と行動」の背景に、
どれだけの心配りと愛情があり、
どれだけの周到な準備があるかということです。
それがなければ、
一見、同じ事を言っているように聞こえ、
また、一見、同じ事をやっているように見えたとしても、
何かが違うものなのです。
一時間、一時間の授業も同じ事です。
同じ教科書で、同じ指導案で、授業をしても、
伝わる授業と、伝わらない授業が生まれます。
深い授業と、浅い授業が生まれます。
同じ絵筆をもって画を描いても、
同じ土と窯で焼き物を焼いても、
決して同じ作品にはなりはしないのです。
なぜなら、そこには「魂」があるからです。
様々な仕事が分業化され、
システム化されていく中で、
段々と「魂」を込めることが難しい時代になって来ました。
効率が重視される時代です。
私のような職人仕事はもう古いのかもしれません。
そこで、まぁ、いいやと思うのか。
諦めず、最善を尽くすのか。
そこが分かれ道です。
ただ、悲しいことに、
私がいくらこだわろうと、
それは、わかる人にはわかるし、
わからない人にはわからないもののようです。
しかし、それでも、
私は私であろうとする努力を重ねていこうと思います。