Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

新型コロナと日本人

2020年05月19日 | Weblog
「家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」
                  
この歌は、有間皇子が、斉明天皇に対する謀反の罪で捕らえられて、牟婁(むろ)の湯(今の和歌山県白浜)へ護送される途中で詠んだ歌です。

意味は、「 家にいるときは、いつでも食器に盛って食べる飯を、今は旅の途中なので椎の葉に盛って食べることだ。」というような意味です。

何が言いたいかというと、「笥」(け)というのは、食器を意味する言葉で、食事に関わる言葉でもあります。また「ケ」は日常でもあります。農耕民族の日常といえば、米を作ることです。

日本人はハレとケを使い分けて弾力的に生活を送ってきました。「ハレ」は、神々とある特別な日で、祭りの日でもあります。収穫を喜び、神様に感謝する日です。「晴れ着」「晴れ舞台」「晴れがましい」などの色々な言葉もあります。

「ケ」は日常です。日常がマンネリ化すると、疲れて鬱々としてきて、「ケ」が枯れた状態になってしまいます。「ケガレ」の状態です。

農耕民族にとっての日常が失われれば、田畑で作物はできなくなります。食料がなくなれば、最悪の場合、飢え死にしてしまい、死ねば疫病が流行ります。これもまた穢れです。

こうして日本人はケガレを恐れ、常に清潔な状態を保とうと努力してきました。また、ハレの日(非日常)を大切にし、生活にメリハリを持たせ、活力を失わぬようにしてきました。

日本人は、万葉の時代から、旅のさなかでも、食べ物を「椎の葉に盛る」のです。手づかみではなく、箸も使います。神社に行けば、まずは手水で手を清めます。

この時代は、ヨーロッパは、まだ手づかみで食べる時代だったと思います。フォークやナイフやスプーンの原型は農具です。農具を応用して、食に使うようになりました。

日本の箸は、最初から、食べ物などを直に触らないことを目的に使われていたようです。箸が日本の文学に最初に出てくるのは、712年に成立した『古事記』です。

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治しに、なぜ、スサノオが川上へ向かって歩いて行ったのかというと、それは、川上から箸が流れてきて、誰か人がいるということをスサノオが察知したからです。

ケガレを嫌い、清潔を好む、民族の記憶のようなものが、今回の新型コロナウイルスに対しても、力を発揮しているのではないかと思います。

水と緑に恵まれた生活の中から育まれてきた、日本人ならではの感性を忘れないようにしたいものです。


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