まだ、人生を振り返るには早いのですが、
色々なところで教育という名の種蒔きはできていたのではないかと、ふっと思うことがあります。
それは自負心が強すぎるぞと思われるのは当然ですが、それでも、人の発した色々な言葉の端々に、私が語ってきた言葉の欠片を感じる時に、ふと、そんな気がするのです。
勿論、私の言葉とて、多くの人たちからいただいてきたものですから、「私が語ってきた」というのもおこがましいのですが、それでも自分の発した言葉の欠片を微妙に感じることがあります。久しぶりに、偶然、ばったりと昔の自分と再会したような、そんな不思議な感覚です。
教育というのはそんなものなのかもしれません。
誰が語ったのかも、もうとっくに忘れ去っているけれど、確かに心の奥底に宿っている言葉がある。
それは、誰かが遠い昔に与えてくれた言葉。
その人のことは忘れてしまっていても、受け取っていた、その瞬間には、確かな教育があったのだと思います。
そして、それは長い長い時間を経て、初めて気づくこと。
それでよかったのだと、ようやくわかったような思いがしています。
その懐かしさを誰とも分かち合うことはないのだろうけれど、それでよかったのだと、確信を持ってそう思います。
私の教育は、まだまだ、これからが本格的な始まりです。
不退転の決意で教育改革に臨むということは、そういうことだと私は思います。